ランディ・ローズ

ランディ・ローズの旅は遥か遠く、そして短いものでした。彼は不運にも飛行機事故で25年という短い人生にピリオドを打ってしまいましたが、オジー・オズボーン時代に残した「Crazy Train」や「Mr.Crowley」における正確で見事に構築された超高速のギターソロは、その後何十年にもわたってヘヴィメタルのギターソロの雛形となりました。

史上最高のハードロック/ヘヴィメタルギタリストと称されるランディ・ローズは、56年12月6日にカリフォルニア州サンタモニカで誕生しました。母親のデローレス・ローズは、学校の音楽教師で、ランディは10歳になる前からギターを弾き始めていました。10代の頃にはハードロックに興味を持ち、いくつかの学校のバンドで演奏した後、シンガーのケヴィン・ダブロウと共にQuiet Riotを結成しました。ロサンゼルスのクラブで大活躍していた彼は、ギター教師としても実績を残し、79年にオジー・オズボーンのBlizzard of Ozzに参加しました。

類稀なる才能を持つギタリスト出会った彼が、最後のアルバム「Ozzy's Diary of a Madman」を録音した頃には、クラシック音楽にのめり込み、さらにはジャズを探求するようなっていました。彼が生きていたら、次に何をしていただろうかと、世界中の人々は常に考えています。

 

紙ナプキンに描いた絵

ランディとジャクソンの物語は、80年後半に彼がグローバー・ジャクソンに「個性的な新しいギターをデザインしたい」と相談したことから始まりました。

ランディとグローバーは、その年のクリスマス前に会い、グローバー流の「オリジナル」な方法(紙のナプキンにスケッチしながら)ギターをデザインしました。"コンコルド"と名付けられたこのギターは、オフセットVシェイプ、スルーネック構造、そして初めてヘッドストックにJacksonの名前が入った、洗練されたホワイトカラーのギターでした。コンコルドは、正にジャクソンギターの第一号であり、ランディがそれを弾いている写真も数多く残っていますが、実際には、ランディ自信が提案した多くの特徴を持つセカンドバージョンが採用されたのです。(ランディが亡くなる数ヶ月前に撮影された数枚の写真にしか写っていません)このセカンドバージョンが伝説となり、それ以来、世界中で「ジャクソンローズ」として知られ、愛されているモデルとなったのです。