Scott Ian Special Interview(後編)

12月 14, 2021

Text by Daishi Ato / Translation by Kyoko Maruyama

スコット・イアンのインタビュー後編は、コロナ禍におけるアンスラックスの活動や40周年を迎えたバンドの輝かしい思い出について語ってもらっている。そして、今さらなことと思いつつ聞いてみた「BIG4と呼ばれていることについてどう感じているか」という質問に対しては、とあるバンドを加えて「BIG5にするべきだ」という意見が返ってきた。果たして、そのバンドとは。

 

― では、アンスラックスの話をお聞きしたいと思います。コロナ禍はアンスラックスにどんな影響を与えましたか?

俺は人生に対して常に前向きに考えたいタイプということもあるけど、それでもコロナを取り巻く俺の個人的な状況は多くの人たちに比べていいほうだった。幸い、家族で感染した者は一人もいなかった。3カ月前くらいから全米に限って週末のフェス出演を再開していて、数年ぶりに色んな仲間と話をしているんだけど、その誰もが口にするのは、コロナで2年間のブレイクを取れたのは色んな意味でよかったということだね。この間、家族との時間を持てたんだ。息子は完全に家でオンライン授業を受けていたし、俺もどこかへ行くことなく、ずっと家にいられた。自分では必要だと思っていなかったのかもしれないけど、実は必要な休みが取れたんだ。バンドっていうのは新譜を出したらツアーして、また新譜、またツアーの繰り返しだ。ハムスターの車輪とも言うけどな。そんな中で2年間、魂と心とバッテリーを充電し直せたことは、多くのバンドにとって最高の出来事だったと思う。コロナを経験したことで音楽から一旦離れられたおかげで、むしろ素晴らしい音楽がたくさん生まれるはずだと思う。つまり、ミュージシャンやバンドにとってはいい面もあったということなんだよ。

 

― なるほど。

 

その一方で何百万人という人がコロナによって命を奪われ、職を失い、ホームレスになったという悲惨なシナリオがこの地球を襲ったことを軽く受け止めるつもりなど毛頭なくて、幸い、個人的にはラッキーだったということだ。最低最悪のパンデミックの状況の中、妻と息子と家で過ごすというポジティヴな時間を持てたのだから、これ以上のことはないよ。

 

― 現在、アメリカの音楽シーンは徐々に日常を取り戻しつつあるように見えますが、実際はどういう状況なんでしょうか?

 

なんとも難しいんだ。この夏は感染者が激減して、ワクチン摂取数も増えて、「ついにコロナ収束か!」とみんながガードを緩めた途端にデルタ変異株が現れ、状況は悪化してしまった。現在の状況は……決して収束はしていないけど……毎日NYタイムズを読んで感染者数をチェックしているが、数字は減っている。過去3カ月で10回ほどのライヴをやった。木曜に飛んで、金土で演奏、そして帰ってくるというパターン。バンド、クルー、誰一人として感染者は出ていない。もちろん感染対策はしっかりやり、常に検査を受けながらだ。ワクチンを受ける人も増えていることを考えると、もしかすると半年後、来年はじめにはインフルエンザのようになっているんじゃないかと願っている。人間はこのウイルスとはずっと一緒に生きていかねばならないと思うけど、8割9割の人がワクチンを済ませれば、インフルエンザと同じになるだろう。毎年、死なないように接種をしなければならないけどね。普通の、コロナ以前の生活に戻れるかと言ったらウイルスは絶対に消えはしないだろうから、どう共に生きていくかを考えなきゃだめなんだ。あとは再発をどう食い止めるか。俺は科学者じゃないけど、この地球に暮らす一人の人間として、また同じ目に遭うのはまっぴらごめんだよ。

 

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― 今年、アンスラックスは結成40周年記念ライブをオンラインで行いました。ファンの目の前でプレイできなかった無念さはあると思いますが、感想を教えていただけますか?

 

最高だったよ。40周年記念ライブを計画した2019年の予定では、キャリアをなるべく網羅した選曲の長いセットをやるはずだった。新旧のメンバーを呼んでやろうとか、色んなアイデアを出していた。ところがコロナによってそれは中止。でも40年を祝う何かはしたいと思っていたからライブをストリーミング配信した。そういえば、その時の「Madhouse」と「Metal Thrashing Mad」では昔のJacksonを弾いたな。あと、バンドのYouTubeチャンネル用のドキュメンタリー・シリーズもやった。新旧メンバーや他のバンドの友人たちに出演してもらって、バンドのキャリアを振り返り、曲ごとに語ってもらったりした。内容的にもとても満足していて、今はそれを長編ドキュメンタリーのDVDとして発売するために編集しているところだよ。

 

― この40年はスコットさんにとってどういうものでしたか?

 

楽しかったよ。40年間、何かを続けるなんてものすごく長いことのように思えるし、それだけ続いたバンドもそういない。バンドの仕事なんて、世の中の大変な仕事に比べたら楽なものさ。もちろんツアーは大変だ。でも概して、バンドでやってることなんて楽な仕事だよ。それでもそのバンドで40年間続けるっていうのは、決して楽なことじゃない。それを説明するためによく言うのは「女きょうだい2人、男きょうだい2人、いとこ……誰でもいい。家族4人と、小さな一部屋で、40年間ほぼ常に一緒にいることを想像してみてくれ」だ。それがどれほど楽なのか、そうじゃないのか、考えてみてくれよ。バンドっていうのはまさにそれ。チャーリー(・ベナンテ:Dr)とフランキー(フランク・ベロ:Ba)、ジョーイ(・ベラドナ:Vo)とこの40年間、ツアーバス、ホテル、飛行機、ステージ、楽屋で、どれほどの時間を一緒に過ごしたことか。でも、そんな中でそれぞれが自分たちらしくスペースを持ちつつやれるように、誰かがボスになって仕切るのではなく、バンドにとって何がいいかを考えるべきだと学んだんだ。アンスラックスはバンドであって、俺一人のものじゃないし、チャーリー、ジョーイ、フランキー、ジョンのものでもない。あくまでもユニットだ。それをどこかの時点で俺たちは学んだ。おそらく2010年、ジョーイが戻ってきた頃じゃないかな。個人的な感情以上にバンドが大事なんだとわかったんだ。その時以来、すべてはよくなる一方だよ。俺たちのやったことは……結構クールなんじゃないかな?(笑)。4人のメンバーがこれだけ長く一緒にやってるバンドはそうザラにはいないぜ。誇りに思うし、楽しかったし、いまだに世界中にANTHRAXと繋がっているオーディエンスがいることが嬉しいね。50年を迎えるのが楽しみだよ。

 

― アンスラックスが「BIG4」の一角を担っていることはメタルファンにとっては常識ですが、「BIG4」と呼ばれることに対してご本人はどう感じているんでしょうか。

 

光栄だよ。 誰がどこで最初にBIG4と言い出したのか、そして、それがアンスラックスとメタリカ、 メガデス、スレイヤーだと言ったのは誰なのか俺には分からないけど、そこに入れてもらえたのは光栄だよ。俺的には、正しくはエクソダスを加えたBIG5になるべきだと思ってる、スラッシュメタルの黎明期を考えればね。エクソダスは、他の4バンドが80年代終わりから90年代におさめた成功に比べれば劣っていたかもしれないけど、その存在は同じくらい重要だった。だってエクソダスにいたカーク(・ハメット)がメタリカへ行ったから、カークのリフはその両バンドの一部だったわけで、BIG5とするのが正しいと思える。メガデスが生まれる何年も前からエクソダスは存在していたし。ヘヴィメタル界のボスであるラーズ(・ウルリッヒ)かジェイムズ(・ヘットフィールド)が公式にエクソダスを加え、BIG5に変更すべきだと思うよ。それが筋ってもんだ。

 

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― では、この40年間でスコットさんがもっとも誇らしく感じた出来事はなんですか?

 

全部話すには時間が足りないと思うよ(笑)。最初に思い浮かぶのは、当然って言えば当然なんだけど、1st アルバムを作った時だ。実際、アルバムを作る日が来るのかどうか俺たちにはなんの保証もなかった。81年にバンドを結成して、1stアルバムを作ったのが83年暮れ。レコーディングのためにスタジオに入った日はバンド結成の丸2年後だった。「81年から83年まで」と字面で見ると2年なんてあっという間に思えるかもしれないけど、実際は自分たちの音楽を誰かに聴いてもらいたいと毎日必死だった時っていうのはすごく長く感じたよ。だって、無名のアンスラックスのことなんて誰も気にしちゃくれなかったからね。大事に思ってくれたのは自分たちと友人たちくらいだよ。でもそこでジョニー・Zに会い、彼がアルバムを作るのを手伝ってくれた。だから、作れるかもわからなかった1枚目を作れたときは誇らしかった。「これで次も作れる」とわかったしね。あとは、1991年にマディソン・スクエア・ガーデンでヘッドライナーを務めたことも忘れられない。ニューヨーク出身の俺は、75年くらいからMSGでたくさんのバンド、俺にとってのヒーローを観てきた。バンドがあそこでやるっていうのは「ビッグなバンドになった」っていう証なんだ。そこで自分たちがヘッドライナーを務めるというのは、ヒーローが歩んだのと同じ道を歩むってこと。そりゃあ一大事だったよ、ニューヨークの人間にとっては特に。あとは……1986年に初めて日本を訪れたとき。

 

― ああ、そうなんですね!

 

子供の頃から夢見てきたんだ。Kerrang誌に日本でのアイアン・メイデンの写真を見たのを覚えているよ。「日本に行って演奏することを想像してみろよ!」ってね。それが1986年、Mr. ウドーに呼んでもらえて実現したんだ。信じられなかったよ。メタリカはその前に日本に行っていたから、彼らからも「日本へ行ってみろ、信じられないぞ。道でファンに追いかけられるんだ」と聞いていた。「そんなの嘘だろ。そんなビートルズみたいな話があるわけない!」と思っていたら、空港には何百人とファンが待ってるし、ホテルの外でも待っている。アメリカじゃ誰もそんなことはしてくれない。バンドが「俺たちは日本じゃビッグなんだ」って言う理由がそこでわかったのさ(笑)。初めての日本は本当にエキサイティングだった。それ以来、いつもそうだ。あとは、初めてロンドンのハマースミス・オデオン(現イベンティム・アポロ)のステージに立った時。自分たちのヒーローが立ったのと同じ場に立てる、アイアン・メイデンと同じところでやれる、それだけで俺たちは有頂天なのさ。アイアン・メイデンからはツアーにも声をかけてもらった。最初は88年、Monsters of Rockでヨーロッパを回ったときだ。信じられなかったよ。その時点で3枚アルバムを出していたけど、そこまでかかった年月はそう長くないんだ。1stアルバム『Fistful of Metal』を出したのが1984年で、そのわずか4年後にアイアン・メイデンのスタジアム・ツアーについていっただなんて自分たちでも信じられなかった。さらに1991年にも声をかけてもらったし、2016年には中南米5週間のツアーに彼らの自家用ジェット(747)に乗せてもらって行ったんだ。しかもブルースが操縦してだぜ? それで驚かなかったら、何に驚けっていうんだよ! でも一番誇らしかったのは、BIG4でヤンキー・スタジアムでやったときかもしれないな。俺もチャーリーもフランキーも大のヤンキースファンだから、ヤンキー・スタジアムでやれたなんて……マディソン・スクエア・ガーデンもそりゃあすごいけど、それ以上だよ。ヤンキー・スタジアムはなかなかライブに貸し出されることはないんだよ。NYエリアでベースボール・スタジアムと言うと、大抵ニュージャージーか、クイーンズにあるかつてのシェイ・スタジアム(現シティ・フィールズ)だからな。2011年のBIG4の前にヤンキー・スタジアムで(野球の試合以外で)やったのは、ポール・マッカートニーとローマ法王のミサだったって聞いたぜ! ホームタウンであるNYで、友人であるバンドと一緒にできたんだからね。最高だったよ。

 

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― 来年、40周年記念ツアーが開催されることが発表されています。ヨーロッパの日程がすでに発表されていますが、日本には来られそうですか?

 

日本ではKNOTFESTの出演が決まってて、それが何度か延期になったままなんだ。だから、まず日本にはそれで行くと思う。いつなのかはまだわからない。でももちろん日本に行きたいと思っている。デッドラインは決めていないけど、来年暮れまでにはニューアルバムを完成させるのがゴールだ。曲作りはもうしているから、2022年9〜10月のヨーロッパ・ツアーのタイミングに間に合わせられたら最高だ。そして、コロナの状況が通常に近づいているなら2023年にワールドツアーを行いたい。その時には間違いなく日本でヘッドライナー・ツアーをしたいよ。フェスティバルも大好きだが、やはり自分たちのコンサートのほうが時間も長いからね。それに自分たちのツアーで行けば、日本にも長くいられる(笑)。

 

― この記事をきっかけにアンスラックスの音楽を初めて聴く若いリスナーにオススメするとしたらどのアルバム、どの曲になりますか?

 

『Among The Living』だとあまりに当たり前すぎるかな?(笑)でもこのアルバムには未だに俺たちがライヴで毎晩演奏している曲が5、6曲入っている。それくらい今も色褪せないアルバムだ。「Caught In The Mosh」「Indians」「Among the Living」など、“クラシック・アンスラックス・ソングス”と呼べる曲が収録されている。ギターを弾き始めたばかりの子には弾くのは難しいかもしれない。ものすごく速い曲だから、ダウン・ピッキングで弾くのはかなり難しいんだ。でも「Caught In The Mosh」のダウン・ピッキングを弾けるようになることを目標にするというのもいいかもしれない。今じゃ俺だって弾くのがやっとなんだ(笑)。マジだぜ。あれをレコーディングしたのは22歳の時だったから、俺の手も手首も今よりずっと若かったんだ! オススメの曲ということなら「Caught In The Mosh」だね。ダウン・ピッキングに加えてオープンなリフ・パートがあったり、1曲の中にいろんなスタイルの弾き方が詰まっているから、ギタリストが試すにはいい曲かもしれないな。

 

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前編はこちら

 


スコット・イアン

1963年12月31日、米ニューヨーク生まれ。スラッシュ・メタル・バンド、アンスラックスの結成メンバー兼ギタリストとして40年活動を続けている。またクロスオーバー・スラッシュの最重要バンド、Stormtroopers of Death(S.O.D.)の中心人物であり、フォール・アウト・ボーイのメンバーと結成したザ・ダムド・シングスのギタリストでもある。2020年にはミスター・バングルの21年ぶりのアルバムにギタリストとして参加した。

 

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