山岸竜之介 SPECIAL INTERVIEW(前編)
5月 9, 2025

TBS系列バラエティ特番『さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル』に出ていた、あの幼稚園児のギタリスト…と言えば、“ああ、あの子!”となる人は多い。それくらい大きなインパクトをお茶の間に残したギタリスト・山岸竜之介が登場。ギタリストとしてのイメージが強い彼だが、実はジャンルにとらわれない幅広い活動を行っている。今回、当サイトにご登場願ったのは、彼が卓越したギタリストであることはもちろん、ミーシャ・マンソーモデルのギターが弾きたい、とスタッフに本人自ら問い合わせたことがきっかけとなっている。4月に発売されたばかりのPro Plus Series Signature Misha Mansoor Juggernaut HT6を手にした感想やいかに…?
ハードな音楽だけじゃなくて、もっと幅広いジャンルにバッチリ合う
― まずは基本的な話から聞かせてください。山岸さんが音楽に目覚めたきっかけは覚えていますか?
正直、ちっちゃすぎて当時の記憶はないですね。たまに聞かれるんですけど、どう答えたらええんかなって(笑)。
― それはそうですよね(笑)。じゃあ、ご両親から聞いた話でしか知らないんですね。
そうですね。父親はサラリーマンなんですけど、趣味でバンドをやってたんですよ。土日にスタジオに入ったり。母親もプレイヤーじゃないですけど音楽は好きで、僕が生まれた頃も家ではずっとブルースとかファンクが流れてたみたいで、ジミ・ヘンドリックスとかスティーヴィー・レイ・ヴォーンみたいなギターヒーローたちのビデオもかかってたみたいです。たぶん、それを無意識のうちに耳にしていたのがきっかけですね。
― 当然、ギターを初めて手にした時のことも覚えてないですよね?
覚えてないですね。アンパンマンかドラえもんか忘れたけど、トイザらスとかで売ってる、ウクレレっぽいちっちゃいおもちゃのギターを買ってもらって、それを家でチューニングもできへんまま、ずっとビロビロ弾いてみたいなんですよ。多分、それが幼心にめっちゃ楽しかったんやと思います。
― ご両親が自然と山岸さんを音楽へと導いていったと。
でも、親はミュージシャン出身じゃないから、“音楽やってほしい”なんてまったく思ってなかったらしいです。おじいちゃんおばあちゃんも音楽とは関係ないし。だから、僕が音楽の道に進むなんて、まったく想像してなかったみたいですね。5歳の頃にテレビに出たりもしたけど、その時も、親からしたら“テレビ?音楽業界?なにそれ?”って感じだったと思います。
― でも、山岸さんがテレビに出た時にはもう、Charさんのことを認識していたんですよね?
はい。それも、父親がCharさんみたいな日本のギターヒーローが好きで、家にDVDとかビデオがあったから、それで自然に知ったんだと思います。周りの友達がトーマスの付録付きの雑誌とかを買ってもらってる時に、僕は『ギター・マガジン』とか『Player』みたいな雑誌を欲しがって買ってもらってたんです。そこにCharさんとか布袋さんとかが載ってて。でも、当時は字も読めへんし、英語なんか当然読めるわけもないから、“これ誰やろ?”くらいの感覚だったと思います。
― 聞くところによると、お父さんがそのギターをいい感じにチューニングしてくれていたとか。
そうそう。オープンチューニングのEとかGとかに合わせてくれてて、スライドバーを指にはめて、ジャーン!ってやったらちゃんと和音になる、みたいな。左手で押さえる力もいらないし、不協和音にもならないから、ちっちゃい子でも“気持ちいい音やな”って感じられる。たぶん、そこが楽しかったんだと思います。で、たまたまオープンチューニングだったおかげで、スリーコードとか自然に弾けるようになって、“俺、弾けてるやん!”って勘違いして(笑)。でも、その勘違いがめっちゃいい方向に働いたんだと思います。もうちょっと大きくなって10歳くらいの頃には、“弾けないフレーズを弾けるようにする”という意識も出てきましたけど、それまではブルースロックのスリーコードとか簡単な音の中で、“音が合うのが楽しい”っていう感覚だけでギターを触ってました。
― 弾けなかったフレーズはどんなものだったんですか?
たとえば、レインボーとかディープ・パープルのコピーをやろうとすると、まずチューニングが違うんですよ。それで、“あ、これはレギュラーチューニングに戻さなあかんねや”ってなって、父親にチューニングを直してもらって。しかも、当時はネットもYouTubeもないし、情報が簡単に手に入る時代じゃなかったんですよ。だから、TSUTAYAでCDをレンタルしてきて、「(返却するまでの)2週間以内に曲を覚える!」みたいな(笑)。それを繰り返してるうちに、昨日弾けなかったフレーズが次の日には弾けるようになったりして、また次の曲にチャレンジしていく、みたいな感じでした。
それを続けているうちに、ブルースロックだけじゃなくて、メタルとかハードロックとか、いろんなジャンルを知るようになって。それまで弾けなかったフレーズが弾けるようになる感覚って、足が速くなった時の嬉しさに近いんちゃうかな。親も褒めてくれるし、自分でも“あ、昨日よりうまくなってるやん!”って実感できるし。だから、練習というよりは成長の喜びが原動力でしたね。
― ということは、完全に自己流で弾いていたということですか?
そうです、耳コピで。合ってる音を耳で探して、1フレットずつ地道に。家にあるコンポだと0.75倍速再生ができたんで、それを使ってちょっと遅くして聴いたり。あとは、ビデオでギタリストが弾いてる手元を何回も巻き戻して見て、“この人と同じ場所を押さえたら同じ音が鳴るんや!”って気づいて、10秒のフレーズを100回くらい巻き戻して練習したり、そんな感じでした。ヤングギターの付録DVDでエリック・サルディナスが1小節だけ教えてくれる映像があったんですけど、それはたぶん1万回くらい見ましたね(笑)。それをずっと続けてたらいつの間にか弾けるようになりました。
― 今ならYouTubeもあるし、効率よく上達できる環境がありますけど、山岸さんのようにアナログなやり方で練習をしてきたメリットはありますか?
ありますね。今って簡単に情報が手に入る分、同じ映像を100回とか観ることはあまりないじゃないですか。昔はTSUTAYAで借りたCDをずっと聴き込むしかなかったから、嫌でも体に染み込むんですよ。しかも、リッチー・ブラックモアとかスティーヴィー・レイ・ヴォーンとか、ほんまにスター級のギタリストばっかりをコピーしてたんですけど、練習対象がめちゃくちゃ高いレベルだったんですよね。それを真似しようとしてたから、結果的にすごく近道になったんだと思います。
― 5歳の頃に『さんま・玉緒のお年玉スペシャル』に出たことは山岸さんに大きな影響を与えていますか?
あれはほんまに感謝してます。当時は今みたいにSNSもないし、インディーズで自由に発信できる時代でもなかったから、テレビってめちゃくちゃ強かったんですよ。あの番組に出たことで僕の名前を知ってくれた人たちがいて、そこからつながったご縁もいっぱいあったと思います。今振り返ると、あの出演が自分にとってめちゃくちゃ大きな出来事だったと思いますね。
― では、ジャクソンについて話を聞かせてください。このギターブランドに対するイメージはどういうものでしたか?
やっぱり、メタル、ハードロックっていう印象はめっちゃ強いです。オールドスクールなロックより、ちょっと新しめのロックとか、速弾き系のメタルギタリストが使ってるイメージはずっと持ってました。
― そういったイメージがある中で、今回ミーシャ・マンソーのシグネイチャーモデル・Pro Plus Series Signature Misha Mansoor Juggernaut HT6を弾いてみた感想はいかがですか?
いや、もう、最高でした。僕、もともと“弾きやすさ特化型”のギターを弾いてこなかったんで、今回、めっちゃ新しい感覚がありましたね。ピッチの良さや弾きやすさにめちゃくちゃ特化してるなとすごく感じました。
― もともと山岸さんは、“ミーシャ・マンソーモデルのモデル、ありますか?”とスタッフに問い合わせをしたそうですね。でも前のモデルは生産終了していて、在庫もほぼなかったから、“新しいモデルが出るから弾いてみませんか?”と誘われたという。
もうほんまに、どこの楽器屋さんに問い合わせても“売り切れてます”って言われて。次回入荷もないと言われたんで、“これはもう直接お願いするしかない!”と思って連絡させてもらったんですよ。
― 何でそこまで欲しかったんですか?
僕、ペリフェリーがめっちゃ好きで。3年ぐらい前に知ったばっかりの新参者なんですけど、そこからハマったんですよ。で、ミーシャがYouTubeとかでいろんなTIPS動画を上げてるのを見て、“このモデル欲しいな”と。“今まで出したことがないような音色が出せそうやな”って。
― ミーシャ本人も“これはギタリストのためのギター”って言ってました。
弾きやすさも、取り回しの良さも、ほんまにその通りだと思います。
― ピックアップもすごく幅広く対応できる設計になってますしね。
さっきもお話したように、これまでジャクソンはメタルのイメージが強かったんですけど、実際手に取ってみたら全然違いました。クリーンとかクランチもめちゃくちゃいいし、ハードな音楽だけじゃなくて、もっと幅広いジャンルにバッチリ合うと思いました。
Pro Plus Series Signature Misha Mansoor Juggernaut HT6
山岸竜之介
幼少の頃、『さんまのスーパーからくりTV』にてCharとギターセッションし、一躍注目の存在となる。その後、プロのアーティストと共演を重ね、ギターの殿堂『EXPERIENCE PRS in JAPAN』への出演も果たす。KenKen、ムッシュかまやつとともに結成したファンクバンド“LIFE IS GROOVE”では、〈RISING SUN〉や〈SUMMER SONIC〉、台湾の大型フェスにも多数出演し、10代にして音楽の聖地であるBlue NoteやBillboardでのバンドとして単独ライヴも果たした。これまでにソロアルバム1枚、シングル5枚を発表。全ての楽曲の作詞・作曲は山岸自身が行なっている。また、ギタリストとしてブロードウェイミュージカルの参加、楽曲提供、数々のミュージシャンとコラボレーションを行っている。
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