Yas Nomura INTERVIEW(前編)

10月 14, 2022

Text by Daishi Ato

Yas Nomuraは19歳のときに渡米して以来、LAを拠点に活躍するギタリスト。もともとはセッションミュージシャンを目指していたが、LAで活動を続けていくうちにアーティストとして自身の音楽を生み出していくことを決意。プログレッシブ・メタル・デュオ、ザ・レゾナンス・プロジェクトを結成し、中国人ドラマーLang Zhaoとともに独自の音楽を構築、HYDEの全米ツアーにもギタリストとして参加している。そんな彼は今年、ジャクソンのスタッフから突然連絡を受け、ジャクソンの新作モデル『AMERICAN SERIES SOLOIST SL3』のショーケース動画へ日本人として異例の出演を果たした。

国内ではまだ謎の多い存在だが、今回のインタビューでは音楽との出会いから現在に至るまでのストーリーをみっちりと語ってもらった。

 

― Yasさんは14歳の頃にギターを始めたそうですが、音楽の目覚めはいつ頃だったんですか?

 

多分、10歳か11歳か。兄が聴いてた音楽を俺も聴き始めたって感じですね。最初は当時流行ってたORANGE RANGEとか、「名探偵コナン」の主題歌をよく歌ってた倉木麻衣とかを聴いてかなり感情を揺さぶられてましたね。そのあとは、BUMP OF CHICKENにハマったり、L'Arc~en~Cielを聴き始めたり、中学に入ってからは友達からJanne Da Arcを教えてもらったり。いろいろあって学校には行かなくなったんですけど、元々ギターをやりたいっていう気持ちはあって。

 

― ギターをやりたいと思ったきっかけは?

 

学校に行ってない間、ゲームしかやってなかったんですよ。そんなときにJanne Da Arcを教えてくれた友達がベースをやりたいって言ってたので、「じゃあ、俺はギター」って。で、家にちょうど親のアコギがあったから、アコギがやりたかったわけではなかったんですけど、ちょっと触ってみたんですよ。でも、何をやればいいのかわからなくて、2週間ぐらいで「これは無理だ」と思って、弟がピアノを習っていたのと同じ教室でギターのレッスンを受けるようになりました。

 

― そのスピード感はすごいですね。

 

弾き語り用のコード譜を買ったりもしたんですけど、全然訳分かんなくて。で、ギターの最初のレッスンで、先生から「何が弾きたい?」と聞かれたので「バンドが好きで……」って言ったら、「じゃあ、アコギじゃないね」ということで、1、2カ月ぐらいしてから1万5千円ぐらいの初心者セットを親を説得して買ってもらいました。

 

― そこまでしてギターがやりたかった理由はなんだったんですか?

 

学校に行ってなかったから「ギターしかない」みたいな気持ちになってたのかもしれないですね。でも、全然弾けてなかったですけど、けっこう早い時点で「音楽でやっていこう」という気持ちはありました。

 

― 自分に才能を感じたからというわけではなく。

 

そういうことではなく、「俺にはこの道しか残されてない」っていう感じでした。その分、練習はめちゃくちゃしましたけどね。1日6時間は練習しないとプロにはなれないらしいみたいな話に感化されて、内容は薄かったと思いますけど、毎日6時間は弾いてました。

 

― どんな練習をしていたんですか?

 

クロマチックとかの運指練習ですね。ギターの先生がメタル好きな人だったので、最初のレッスンで「こういうギターのスタイルがある」って教えてもらって。ソロギターとか、ファンクのカッティングとか。あと、メタリカの「マスター・オブ・パペッツ」を弾いてるのを見て「かっけー!」と思ったけど、当時は内気だったのでその場で「なんすか、それ」とは聞けず。

 

― なるほど(笑)。

 

最初に弾いた曲はデフ・レパードの「アニマル」で、その次にメタリカを教えてもらって、そこでようやく「マスター・オブ・パペッツ」を見つけたりして、そこから1年間ぐらいはずっとメタリカのコピーをしてましたね。

 

― 同年代の人たちが毎日学校に行ってるなかで、自分には何もすることがないという現実に引け目を感じて、何か打ち込むものがほしかったというところもあったんでしょうか。

 

たぶん、そうですね。もともとはちゃんと勉強していたタイプだったんですけど、学校の先生との折り合いがよくなくて。もちろん、自分もやんちゃだったんですけど、給食の直前に学校に行って、給食食って、午後の授業だけ出る、みたいなことをやって先生にめちゃくちゃ怒られたり(笑)。その前からあまり行ってなかったんですけど、ギターをやり始めてからは学校にはほぼ行かなかったですね。

 

― 当時はどんなプレイヤーになりたいと思っていたんですか。

 

Janne Da Arcとかラルクが好きだったし、メタルにもハマっていったので、メタルバンドをやりたいと思ってました。その頃、アーチ・エネミーがニコニコ動画とかでも流行ってて、全然できなかったけど自分でも弾いてみたりしてました。

 

― 高校はどうしたんですか。

 

学校に行ってなかったんで成績が悪すぎて普通の高校には行けませんでした。でも、さっき話したベースの友達から、半分通信制の音楽学校があるから行かないかと誘われて、そこに入ったって感じですね。今は東京自由学院という名前ですけど、俺が入ったときは東京自由学園で、普通の勉強は全然しないで音楽に打ち込んでましたね。

 

― 音楽がきっかけで再び学校に通うようになるというのも面白いですね。

 

そうですね(笑)。とはいっても、通信制なのでレポートだけ出せばよかったんですけど。2、3週間ごとに各教科のレポートを出さなきゃいけなくて70点以下だと追試だったので、ギリギリ70点取れるようにしてあとは適当に書いて提出してました。だから、3週間分の勉強を1日で終わらせて、あとはほぼ全く勉強してなかったです。勉強したのは音楽理論ぐらいでしたね。

 

― 初めて組んだバンドは?

 

高校の頃にドリーム・シアターのコピバンをやってました。

 

― いきなりドリーム・シアターですか(笑)。

 

アンサンブルクラスというのがあってその中で<洋楽><邦楽><ポップス>に分かれてたんですけど、洋楽のクラスはさらに<A>と<B>があって、<B>はデスメタルとか難しい音楽をやるクラスだったんです。そこは当然レベルが高くて入れなかったので、<A>から始めて、高1の終わりか高2から<B>に入りました。最初にやったドリーム・シアターの曲は「パニック・アタック」で、ほかにもいろいろやりましたね。

 

― なんでドリーム・シアターだったんですか?

 

俺が高校に入学したのと一緒に編入してきた先輩がいて、その人はドリーム・シアターが大好きで、速弾きとかすごく上手いギタリストだったんですよ。彼とは同時期に入学したということもあって仲よくなりました。その人からの影響はデカいですね。それで、ベースの友達もちょうどドリーム・シアターを聴き始めたこともあってコピーすることになって。高校に入ってからはアーチ・エネミーとかチルドレン・オブ・ボドムみたいなメロデスが好きだったんですけど、ほかにもエクストリーム、イングヴェイ(・マルムスティーン)、Mr.BIGも好きでした。ドリーム・シアターの前に80'sのロックをコピーしようとしてましたね。

 

― テクニカルなギターに惹かれる傾向があったんですかね。

 

そうですね。最初って上手いとか下手とかわからないじゃないですか。でも、速弾きって派手だし、もっと上手くなりたいって気持ちもあったのでテクニカルなほうに惹かれたんだと思います。

 

Yas Nomura Special Interview B

 

― そして、高校を卒業後、19歳で渡米したんですよね。

 

それについては高2ぐらいから考えていて。なんでそう思ったのかは覚えてないんですけど、ケリー・サイモンさんが出した「超絶ギタリスト養成ギプス」という本にケリーさんはハリウッドのMI(Musicians Institute)に行ったと書いてあったんで、とりあえずアメリカ行けば上手くなるのかなって。

 

― あはは!

 

うちの学校に同級生のギタリストは6人ぐらいしかいなかったんですけど、俺は一番下手なうちの1人だったんですよ。でも、上手いヤツが周りにいればインスパイアされると思ったし、アメリカの有名な学校に行けば上手いヤツがいるだろうと高2の頃に思って、高3で決意しました。ありがたいことに親もめちゃくちゃサポートしてくれて。もともと学校に行ってなかったから、「これしかない」と思ったんでしょうけど。

 

― 打ち込めるものを見つけたなら全力でサポートしてあげたいという親心。

 

それは本当に感謝ですね。

 

― 渡米してからは?

 

最初は卒業したら帰ってくるつもりだったんですけど、アメリカに来て半年ぐらいで「こっちに住もう」と。

 

― 何があったんですか?

 

単純にこっちは音楽のレベルが高いし、ライブのチケットも安いんですよ。海外から来日するバンドのライブのチケットって1万円ぐらいするじゃないですか。こっちだと20~30ドルで観られるし、学校のツテでタダ観られることもあるし、アラン・ホールズワースのライブなんて30ドルで、しかも目の前で観れたんですよ。音楽面以外にも気候とかいろいろ理由はありますね。

 

― 日本で学ぶのとアメリカで学ぶのだとどんな違いがあると思いますか?

 

アメリカのほうが音楽が文化として浸透していますね。音楽を全くやってない人でもライブバンドを観て楽しんでたりするし。日本の場合は敷居が高いじゃないですか。音楽を聴く人と聴かない人で分断されてるというか。

 

― 興味ない人はまったくないっていう。

 

アメリカではそういう意味で音楽の需要があるんですよね。日本はメインストリームの音楽は有名だけど、それ以外の層がやっていくのがなかなか難しいというか。日本でも、音楽をやってない人がふらっとバーまでライブを観に行くようになったらいいんですけど。

 

― たしかに。

 

あとは、LAとかニューヨークには世界中からミュージシャンが集まるから単純にレベルが高いです。

 

― LAのシーンってどういう雰囲気なんですか?

 

ジャムがあってそこにいろんなプレイヤーが参加したり、小さいバーでライブをしてそこでいろんな人とつながっていったり、音楽に対してオープンですね。あちこちで弾きまくってナンボというか。

 

― 余計な人間関係に悩まされることなく、純粋に音楽に打ち込めるという。

 

もちろん、人間関係も大事なんですけど、技術が伴って初めて人とつながっていく意味が生まれるというか。なんだかんだみんな上手いし、そもそも上手くなかったら相手にされないんですよ。

 

― そんなシーンでのし上がろうとするなら並大抵の努力ではダメですね。

 

俺もいまだに頑張ってます。なかなか厳しいですね。

 

― 練習すること以外に、Yasさんはそちらでどんなことをやっているんですか。

 

練習以外だと、以前はアーティストのバックで演奏したりしてましたね。Craigslist(クレイグスリスト)っていう求人専門のネット掲示板みたいなのがあるんですけど、学校を卒業したての頃はそういうところで見つけたギャラが出ないライブをやったりしてました。あとは単発のイベントで弾いたり。あとそれと同時期に、マテウス(・アサト)が「絶対やったほうがいい」っていうからインスタグラムに動画を上げ始めたんですけど、それでフォロワーが増えて、自分でもバンドも始めるようになって。そうしていくうちに、自分はバックで弾くよりもアーティストとしてやっていくほうがいいんじゃないかと思うようになったんですよね。アーティストのバックで弾くのは別に俺じゃなくてもいいじゃないですか。他人の曲をたくさん覚えることに対しても「なんだかな」と思うようになって、いまは自分のバンドに集中してます。ずっとひとりのアーティストのバックで弾くならまた別なんですけどね。

 

― そういう気持ちもLAで活動していくなかで固まっていったと。

 

そうですね。もう少し詳しく話をすると、最初はセッションミュージシャンになりたくて、しばらくはソロボーカリストのバックで弾いたりしてたんですけど、ヨーロッパツアーが決まったんですよ。3週間ぐらいの長いものだったんですけど、学校を休んでいいのは2週間までで、それ以上は退学。なので、学校を辞めました。そうなると学生ビザはなくなってしまうけど、ツアーに行くぐらいの立場になればアーティストビザをもらえるだろうということで、ビザの申請のためにいったん日本に戻ってきて、そのまま1年半ぐらい生活してたんです。それでこっちに戻ってきてからはバックバンドの仕事は止めて、自分のバンドを始めました。

 

― 自分が表現したい音楽が変わることで自分のプレイに求めるものも変わっていきますよね。

 

最初はロックとかメタルで、途中からパット・メセニーみたいなフュージョンを聴き始めたんですけど、こっちに来てからはフュージョンのキーチェンジとかを理解するにはジャズをやるのが早いということでジャズをやり始めました。なので、MIに通い始めた頃はメタルで、そのあとはフュージョンしかやってませんでした。でも、ベースとして参加したことのあるプログレバンドは若干メタル要素があったので、そこからまたメタルを聴き始めたり。日本にいた1年半の間にYo Onityanと遊ぶようになって、そこからまた本格的にメタルをやるようになりました。

 

後編に続く(近日公開予定)

 


Yas Nomura

2007年、14歳の時にギターを始める。

翌年、2008年、音楽専門高等学校、東京自由学園(現・東京自由学院)に進学し、テクニック、アンサンブル、音楽理論などを学ぶ。

2011年、高校を卒業後、1年間、ギタリスト菰口雄矢氏に師事。

翌年、2012年、19歳の時、アメリカ、ロサンゼルスに単身で移住、Musicians Institute Hollywood校に入学し、Allen Hinds、Scott Henderson、Dean Brownを始めとするLAのプロミュージシャンから音楽を学ぶ。2014年、MI在学中にベースを独学で弾き始める。

2014年にMIを卒業後、プロギタリスト/ベーシストとしてのキャリアをスタートさせる。2019年には自身のバンド、The Resonance Projectのファーストアルバムをリリース、同年にはギタリストとしてHyde (L’Arc-en-ciel)の全米ツアー(全35公演)にも参加。ベーシストとしてはMateus Asatoのサポートメンバーとして2019年のアジアツアーに参加。2022年11月にはThe Resonance ProjectのシングルとそのMVがリリース、来春にはニューアルバムをリリース予定と、今後の活動が注目されている。

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