Jeff Loomis Special Interview(後編)

2月 1, 2022

Text by Daishi Ato / Translation by Kyoko Maruyama

過去、ジェフ・ルーミスがメガデスやオジー・オズボーンのオーディションを受けたのは有名な話だ。後編となる今回は、それらのエピソードについて再び語ってもらいつつ、現在メンバーとして活動するアーチ・エネミーやアルカトラズに関することもたっぷり語ってもらった。そんな彼が最後にくれたビギナーへのアドバイスは、これまで登場したどのギタリストとも異なるものだった――。

 

― 16 歳の時にメガデスのオーディションを受けたというのはよく知られた話ですが、改めて詳しく教えてもらえませんか?

 

もちろんさ。長い話になるからまとめて話すね。16歳の頃、ラス・ヴェガスに今でも仲よくしている友人がいて、当時そいつはLAに住んでいた。1988年頃の話だよ。ある日、そいつから「メガデスがギタリストを探してるって噂を聞いたからデモテープを送ってみろ」と電話があった。僕は当然、メガデスのファンだったので、4トラックのマルチトラックレコーダーで彼らの曲を4曲弾いたデモをつくって、その友人経由でマネージャーに送ってもらったんだ。それから1週間後くらいに連絡があって、「リハをしたいからLAに来ないか」と言われたんだ。もちろん興奮したけど、親は16の子供が一人で行くのにあまりいい顔をしなくて「年上の友達と一緒なら」と条件付きでOKしてくれたんだ。ウィスコンシンという中西部の小さな州に育った僕が、生まれて初めて飛行機に乗ってLAみたいな大都市に行くわけだから仕方ないよね(笑)。それでオーディションの列で待っていたらベーシストのデヴィッド・エルフソンが出てきて「次、ジェフ・ルーミス」と僕の名前を呼んだんで立ち上がった。そしたら、多分22〜3歳くらいだと思われてたんだろうけど、「お前、まだガキじゃないか」と驚かれて、「とりあえず中へ入れ。オーディションをするから」と言われて、ガチガチに緊張しながらもバンドと演奏をしたんだ。デイヴ・ムステインが何も歌ってくれなくて「え、なんだよ?」とちょっと戸惑ったけど、それなりにいい演奏ができたと思う。やったのは「Wake Up Dead」「The Conjuring」「In My Darkest Hour」それともう1曲。オーディションが終わるとデイヴ・ムステインから「わざわざここまで来てくれて本当にありがとう。ただ、君は若すぎて経験もない。でも、16歳とは思えないぐらい素晴らしいプレイヤーだ。そのまま演奏し続ければ、いつかきっと素晴らしいプレイヤーになる」と言われたんだ。正直、ちょっとがっかりしたけど、彼のアドバイスに従ってギターを弾き続けようと思った。

 

― いい話ですね。

 

この話のオチは、僕の昔のバンド、ネヴァーモアが2005 年にデイヴが開催したGigantourのオープニング・アクトに抜擢されたってこと。デイヴに当時の話をしたら「覚えていない!」と言われたけどね(笑)。ま、そういう時期だったからな……わかるだろ? 今も必ずこの話について聞かれるけど、いつも喜んで話しているよ。自分をギタリストとして次のレベルに引き上げるきっかけになった出来事だと思うし、決して忘れることのない楽しい思い出だね。若かりし日の僕をサポートしてくれたデイヴには感謝してる。

 

 ― 2008年にもう一度、メガデスに加入するチャンスがあったと聞いてますが。

 

ああ。当時のギタリストだったGlen Droverの代わりに数回ギグをやってくれないかとデイヴから連絡があったんだ。その2回のギグで試して、うまく行けばそのままバンドに入れたいと思ってたんだと思う。ところが僕は1stソロアルバムのレコーディングを始めたばかりで、プロデューサーのNeil Kernonやドラマーとスタジオに入っている時だったからさすがに全部放り出すわけにはいかなかった。デイヴにそう話すと「わかったよ」と苦笑いされたよ。現実的には、そのときにやってたことを全部放り出すべきだったのかもしれないけど、うまくいかなかったということだね。結局は僕の代わりにChris Broderickが加入し、長いことバンドでやることになったわけだけど……人生、そういうこともあるということだね。

 

― でも、ちょっと残念だった?

 

ああ、そうだね。うまくいってたら大きなチャンスだった。でも当時はまだネヴァーモアがあって、2010~2011年に解散することになった。今は知っての通りアーチ・エネミーにいられるわけだから、そう考えるとクールだし恵まれていると思うよ。

 

― 2009年にはオジー・オズボーンのギタリストのオーディションにも参加したんですよね?

 

そうさ、クレイジーだったよ(笑)。その時にシャロンにも初めて会ったけど(彼女の喋り口調を真似て)「ハロー、ジェフ。調子はどう?」とにこやかに迎えてくれた。最高にクールな女性だった。オーディションが始まる前、ペダルボードをつなごうと足元を見ていたら上から宝石や金がジャラジャラついた手が降りてきて、上を見たら……オジーがいた(笑)。LAの大きなリハーサル・スタジオでカウチに座った2人を前に、僕は5〜6曲弾いた。シャロンから年齢を聞かれて、当時僕は38歳だったんだけど、彼らはもう少し若い人間を探していたんだと思う。結局、選ばれたのはGus G。でも彼もそれほど長くやることにはならなかった。それでも、オジーの最後のギタリストになれるならクールだったろうね。この時もうまくいかずに終わったけど、オジーに会えただけで光栄だったよ。なんてったってヘヴィメタル界の神様だし。「God bless you ジェフ、来てくれてありがとうよ」と言ってもらえた。オジーにはぜひ元気で、あと数回はツアーをしてもらいたい。ステージにあがった姿をもう一度見たいから。

 

― 僕もオジーのビバリーヒルズの家に伺ってインタビューをしたことがあります。とても素敵な方でした。

 

本当に? すごいね。僕にもすごく親切に接してくれて、寛大な人だった。オーディションは飛行機で行ってその日のうちに帰るつもりだったんだけど、オーディションが遅れて、すぐに空港に向かわないとフライトに乗り遅れる時間になってしまったんだけど、オジーが「俺のリムジンを使え」と言ってくれたんだ。それでオジーのお抱え運転手にリムジンでバーバンク空港まで送ってもらって無事に家に帰れたっていう、そんな嬉しい思い出もあるよ。

 

― アーチ・エネミーにはどういう経緯で参加することになったのですか?

 

2008〜2010年頃、マイケル・アモットから何度か連絡があったんだけど、その時はまだネヴァーモアをやってたので断るしかなくて。そうしたら2014年に再び連絡があって、その時にはネヴァーモアは解散していたし、僕はギタークリニックとか以外は何もしていなかったんだ。マイケルとは90年代半ばくらいからの知り合いでずっと親しかったしたまに連絡をとってたから、迷うことなく「やってみよう」と思えた。オーディエンスの目の前でまた演奏したいという気持ちもあったしね。ソングライティングに関しては、アーチ・エネミーはマイケルのバンドなので、曲は彼が一人で書いていて僕は書いていない。アイデアを出したことはあったけど、僕のスタイルとはだいぶ違うんだ。だから今は自分で書く曲はソロアルバム用にしている。とにかくやっててとても楽しいバンドだから、その一員でいられるのが嬉しいよ。全員いい連中だし、とてもプロフェッショナル。もう7年もいるなんて信じられないくらいあっという間だった。普段からものすごくツアーをするバンドだったからね。でもこの2年間、ステージで演奏してないから早く戻りたいってみんなウズウズしているよ。

 

― 2年間、演奏していないとのことですが、今もコロナの影響は大きいですか?

 

ああ。少し前にビデオ撮影でスウェーデンに行こうとした時は、シアトルの空港までは行ったものの、2日連続でその場で帰らされたんだ。ドイツ政府とスウェーデン政府発行の書類が必要とかで、とにかくハードルが高すぎた。それで2カ月前にようやく入国が許されて、毎日PCR検査を受けて、マスクを着用して過ごしたよ。ところが今はまた新種の……オミクロンだっけ? それで状況は悪化している。収まったかと思うとまたぶり返すの繰り返しだから、どうなるんだろうね。この2年ずっと家のスタジオで曲を書いたりしててそれも悪くなかったけど、そろそろ早く家を出て演奏をしたいと思い始めてるよ。僕だけじゃなく、みんなそう思っている。僕らにできることは専門家の意見を聞き、自分たちにできることをやって安全に過ごし、戻れる日を待つだけだ。

 

Jaff Loomis D

 

― そんな状況ですが、今年、グラハム・ボネットのアルカトラズ の活動も始めたのですよね?

 

ああ、アルカトラズを名乗れるかどうかが今まだわからないんだけど、次のアルバム用にグラハムと3、4曲書き始めたところなんだ。順調に進んでいるよ。グラハムは今、ソロ・アルバムにも取り掛かっているから作業はゆっくりだけど、これから数か月でもう何曲か書くから、2022年の年末まで待たずにリリースできるんじゃないかな。彼と一緒にできることは本当に光栄なことだよ。ものすごい声の持ち主だし、彼の過去の経歴を見てごらんよ。マイケル・シェンカー、イングウェイ・マルスムティーン、スティーヴ・ヴァイ……超一流プレイヤーばかりだろ? その彼から声をかけられたのは本当に名誉なことだし、正直、とても謙虚な気持ちで捉えているよ。ミスター・グラハム・ボネットと口を聞けるチャンスなんてそうないからね。自分はなんてラッキーなギタリストなんだろうと思う。

 

― ネヴァーモアに始まり、様々なバンドにメンバーとして、ゲストギタリストとして参加してきましたが、それぞれ異なる雰囲気の中でうまくやるためにどのようなことを心がけてきましたか?

 

何より、好きな曲じゃなければできない。グラハムから声がかかった時はまるで問題がなかったよ。自分がアルカトラズを聴いて育ったファンだから、即座にイエスと答えた。僕のスタジオで他のバンドがレコーディングして、それをプロデュースするということも生計のために少しやっているけど、僕は厳密にはプロデューサーではなく、ミュージシャン。でもそういう仕事も徐々に増やしているよ。他のバンドを助けるのも楽しいからね。常になんらかの形で音楽に囲まれているね。 

 

― そういったゲスト参加などの経験はあなたにどんな影響があると思いますか?

 

人から声がかかった時、例えば今回のアルカトラズだったら「どういうサウンドがいいんだろうか? 昔のアルカトラズのアルバムみたいな道を自分も行きたいのか? それとも自分らしいヴァイブのものにしたいのか?」とまず考える。実際、どちらにすべきかは難しくて、自分でも迷ったよ。でも僕にとって一番よかったのは、自分の心の赴くがままに書いたことだった。イングウェイの真似をしようとしたってそれは無理だ。彼らは彼らなのであって、それぞれのサウンドとアイデンティティがある。僕は昔のアルカトラズを彷彿とさせるものにしながらも、そこに少しハードなエッジを加え、自分らしいアイデンティティが感じられるサウンド、つまりジェフ・ルーミスならではのリフがある曲にしようと思ったんだ。きっとクールなものになると思うよ。というか、そう願いたい(笑)。

 

― 数多くのバンドがネヴァーモアから影響を受けたとインタビューなどで話しています。そういった後輩からの発言を聞いてどうですか?

 

本当に信じられない話だが、すごく嬉しいよ。ネヴァーモアが多くの若い世代のギタープレイヤーたちに興奮を与えられただなんてね。あのバンドには不幸な出来事もあった。シンガーのウォーレル・デインは4年前に命を落とした。でも音楽は生き続けていて、若い世代はそれを聴いて好きになってくれている。ネヴァーモアは常にアンダーグラウンドなメタル・バンドというか、カルト的な存在だったけど、いまだに見つけ出して聴いてもらえている。歌詞を深く読み、ギターリフを学び、楽しんでくれてるんだ。バンドは解散して、僕らはもう存在しないわけだけど、音楽は忘れられずにあるんだよ。そのことに関しては嬉しいとしか言いようがないね。今もネヴァーモアを聴いてくれるファンには感謝したい。僕にとって、とても大きな意味があるよ。

 

― では、これまでのキャリアの中でジェフさんがもっとも誇らしく感じた出来事はなんですか?

 

たくさんあるけど、飛び抜けているのは、1995年、ネヴァーモアがツアーを始めた頃に出演したオランダのアイントホーフェンで開催されたダイナモ・フェスティバルだね。当時は最大規模のフェスの一つで、その日僕らがステージに立ったのは正午近くだったんだけど、集まった客は17万人。あれだけの人間が集まっている光景を見たのは生まれて初めてだったよ。今は安全面からそこまでの観客は入れられなくなって、規模を縮小してしまったんだけど、当時はまるで波が押し寄せる海を見ているみたいだった。バーで演奏したり、客が20人とか30人しかいないようなギグとか、厳しい時代を経験してきた僕らがここまで来たんだなと感慨深かった。ちょうど90年代初期、地元シアトルではグランジ一色になり始めた頃だったから、ネヴァーモアには演奏する場所がなかったんだ。でも、ヨーロッパでは人気があった。95年のあのフェスは正午という早い出番だったにもかかわらず、あれだけの人数が集まってくれて盛り上がってくれた。あの日、目にした光景は一生忘れられないよ。すごく嬉しかった。

 

― とてもいい話なので、もうひとつ何かエピソードを聞かせてもらえませんか?

 

そうだなぁ、2000年に出た『Dead Heart in A Dead World』かな。あのアルバムでネヴァーモアはビッグになった。あの時、僕は7弦ギターに転向し、それまでとはサウンドが変わったんだ。結果的にあのアルバムのツアーは3年間続いて、ネヴァーモアがビッグなバンドとしてみなされる決定的な1枚になった。間違いなく、あれがキャリアのハイライトのひとつだね。93年からバンドをやってきて、7年かかってあそこまで行けた。サウンドはそれまでから大きく変わったけど、一番人気のアルバムだったし、僕自身いまだにネヴァーモアの中でも大好きなアルバムの1枚だよ。 

 

― では、ジェフさんの音楽に初めて触れる若いリスナーにお勧めするとしたらどの楽曲、またはアルバムになりますか?

 

選ぶのはいつも大変なんだけど、僕のギターを聴きたいっていう人にはソロアルバムを勧める。個人的に気に入ってるのは2012年の『Plains of Oblivion』だ。ネヴァーモアなら今も話した『Dead Heart in a Dead World』。僕のギターを、リズムそしてリードと包括的に聴きたければ、同名のプロジェクトによる『Conquering Dystopia』。ジェフ・ルーミスというギタリストをわかってもらうには、この3枚がいいかな。

 

その中のどの楽曲が特におすすめですか?

 

『Conquering Dystopia』なら「Inexhaustible Savagery」、『Dead Heart in a Dead World』なら1曲目の「Narcosynthesis」、『Plains of Oblivion』なら2曲目の「Ultimatum」だな。クールな曲だよ。

 

― これから楽器を始めるビギナーのみなさんへアドバイスをお願いします。

 

いい質問だね、そして大事な質問だ。メタルだけでなく、いろんな音楽を幅広く聴くといいよ。音楽はメタルだけじゃないからね。個人的には、サントラを聴いた時に心で感じる感覚がとても好きだ。ハンス・ジマーといった映画音楽のコンポーザーさ。他にもフィリップ・グラスも好きなコンポーザーだな。そんな風にみんなにもぜひ、幅広い音楽を聴いてほしい。そしてベッドルーム・プレイヤーにならないこと。若い時から自分以外のミュージシャンとプレイし、考え方を共有する機会を多く持つことを勧めるよ。そしてできる限りライブの場に立つこと。部屋でベッドに腰掛けてカメラを前に演奏するのと、人の前に立って弾くんじゃ全然違うから。あとは自分らしさ、自分というアイデンティティを見つけ、聴いた人が誰かがわかるようなプレイを目指せということかな。他のプレイヤーのコピーをしてちゃダメだ。以上3点がとても大切だと思う。

 

前編はこちら

 


ジェフ・ルーミス

米ウィスコンシン州生まれ。シアトルを拠点とするプログレッシブ・メタル・バンド、ネヴァーモアで注目を集めると、バンド脱退後は『Zero Order Phase』(2008年)と『Plains Of Oblivion』(2012年)と2枚のギター・ソロアルバムをリリースし、批評家の称賛を浴びる。2014年、アーチ・エネミーにリード・ギタリストの一人として加入。世界中でライブを行う。その独特のリズムスタイル、滑らかなテクニック、そして猛烈なスピードのプレイで、メタル界にその名を刻んでたギタリスト。

 

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