Scott Ian SPECIAL INTERVIEW (前編)

4月 12, 2024

 

前回、スコット・イアンのインタビューが掲載されたのは、約2年半前のコロナ禍真っ只中のこと。今回は、ミスター・バングルのギタリストとして久々の来日を果たした彼と久しぶりに対面し、じっくり話を聞くことができた。

スケジュール的にもメンタル的にも奇跡的に余裕があった彼は、いつも以上にリラックスした様子。インタビュー前に原宿にあるFender Flagship Tokyoでたっぷりギターを堪能してきたそうで、ソファに腰を落ち着かせたあとも自身のシグネイチャーモデルやJacksonの新作を試奏していた。なので、まずはギターについて話を聞くところからスタート。しかしこのとき、スコットも筆者も話が最終的にテイラー・スウィフトにまで及ぶとはまったく予想していなかった― 。前編となる今回は、ギター、アンスラックス、ミスター・バングルの話が中心。最後にスレイヤーの復活についても尋ねてみた。

 

これ(AMERICAN SERIES VIRTUOSO)にストラップをつけてアンプに繋いでくれたら、このままステージで弾けるぐらいいい。れぐらいこのブランドを信頼している

 

さっそくJacksonのギターについて聞かせてください。まず、いまスコットさんが手にされている昨年秋に発売されたAMERICAN SERIES VIRTUOSOですが、持ってみていかがですか?

今初めて見るんだけど、持った感じはすごくいい。ネックがいいなと思った。楽に速く弾けそうだ。横から見るとわかるけど、薄いところがいいね。俺はギターの専門用語は苦手だけど、自分の好きな感触はわかるよ。80年代からずっと弾いてきたのと同じ感触。つまりJacksonの感触だね。ブルーのキラキラした色が大好きだから、これを見た瞬間、フィニッシュがいいなと思った。あと、俺にとってはフロイドローズを引っ張れるのがすごく重要なオプションなんだよ。(実際に触りながら)こういう感じにやるのが好きだからね。しかもダンカンを採用しているから音がいい。もし今、ローディーがこれにストラップをつけてアンプに繋いでくれたら、このままステージで弾けるぐらいいい。それぐらいこのブランドを信頼しているし、持った感触だけでもエキサイティングなギターだってことがわかるよ。

 

そこまで感じるのは珍しい?

ああ。これはセットアップが済んでるというのもあるけど、手にとってすぐ「今夜にでも弾ける」と思うことはあまりないね。だいたい、「ここをこう変えて」と思う部分があるものだから。でも俺は根っからJackson派だからね。Jacksonは機能性も一流だけど、俺みたいにメタル/スラッシュ/ハードロック/パンク/ハードコアをやってる人間にとっては、スーパークールなギターなんだ。

 

ご自身のシグネチャーモデル、X SERIES SIGNATURE SCOTT IAN KING V™はいかがでしょう?

これは“Baldini”と呼ばれているんだけど、ここ数年のシグネイチャーモデルはどれもこのシェイプで、あとは色を変えている。Candy Apple Red、Blackにミラーのピックアップガード。これはダイムバック・ダレルにインスパイアされた最新カラー。彼のDime Slime と呼ばれる有名なフィニッシュをKing Vで真似てみたらどうだろう?と数年前に思って試してみたんだ。で、僕のニックネームであるBaldiniと名付けた。俺がbald(ハゲ)だからってことで、ダリルがそう呼ぶようになったんだ。Baldini Burstさ。いつもバンドではこれを弾いているよ。

 

― だからBaldiniだったんですね!(笑)

1995年かもうちょっと前かな、マンハッタンにあるRoseland Ballroom にパンテラが出るから俺も付いて行ったんだ。で、会場へ向かう途中、赤信号でバスが止まったから外を見たら「Dino Baldini」という名前の男性服店があって。そしたらダリルが俺のほうを見て“Baldini!”と叫んで、それ以来俺のニックネームになったんだよ。

 

毎回聞いていますが、ビギナーのギタリストにアドバイスをするとしたら?

練習しろ!

 

あはは!

秘密は何もない、練習だ。俺の12歳の息子はギター、ベース、ドラムをやるんだけど、「練習しろ」と言ったことは一度もない。本人が音楽しかやりたくないと言ってて、学校にも行かずに家で一日中楽器を弾いて、録音して、曲を書いている。まるで昔の自分を見てるみたいだよ。俺も音楽以外何もしたくないくらい、音楽が命だった。人から「練習しろ」と言われなければやらないんだとしたら、そいつはまだ準備ができてないのかもしれない。本当に好きだったら、自分の中から音楽が生まれてくるだけで幸せなはずだ。

 

― たしかにそうですね。

オリジナルじゃなくても、カバーでもいい。息子もYouTubeを見ながらレッド・ツェッペリンの曲を必死に練習してるよ。俺が12の頃にYouTubeがあったらどんなによかったか。とにかく、上手くなりたかったら練習しろ。俺だって毎日メトロノームの前に座って……特にツアー中はステージに上がる30分前くらいはこういう練習してるよ(とデモンストレーションをはじめる)。メトロノームを155bpmに合わせてスタート。こんなふうにしてダウンピッキングするんだよ。それに慣れてきたらスピードを165にあげる。そうやって続けていくうちに30分くらいで200bpmが弾けるようになるから、そうしたらステージに上がる準備は万端。これをやらずにステージに出るとダウンピッキングで弾けなくてごまかすハメになる。そんなことをするのは死んでも嫌だから練習するんだ。

 

― 今でも基本的なルーティーンを欠かさないんですね。

マジで退屈だと思うこともあるよ。でも練習するから上手くなるんだし、上手くなることで自分のやりたい仕事がやれると思えば退屈さも忘れられるよ。30分間、メトロノームの前で、ときにはiPadで映画を観たり、本を読んだり……こんなふうにページをめくりながら手だけを動かす(笑)。そうしているうちに30分後には「まだ俺も速く弾けるぞ!」って嬉しい気分になるんだ。かつてスイサイダル・テンデンシーズやマリリン・マンソンにいて、最近オフスプリングに入ったブランドン・バーツボーンが息子のドラムの練習に付き合ってくれてるんだけど、前に「息子に何かアドバイスしてくれないか? どんなエクササイズをしてる?」と聞いたら、ブランドンは「エクササイズなんてしない。ただ好きな曲、好きなドラマーに合わせて叩いてるだけだ」と言ってた。ギタリストとしてやってることは俺も同じ。好きな曲に合わせて弾くのが練習であって、ただスケールを弾くようなことはしない。メトロノームに合わせてピッキングするのは死ぬほど退屈だけど、これは重要な練習だよ。ミスター・バングルのときはミスター・バングルの曲に合わせて練習する。アンスラックスのときはアンスラックスの曲に合わせて練習する。ただスケールを弾くような練習を続けなきゃならなかったら、50年前にとっくにギターを辞めてただろうな。そもそも、子供の頃にギターレッスンを途中で辞めた理由はそれだったしね。スケールを覚えたり譜面を読むのは学校の宿題みたいで嫌いだった。実際の曲が弾きたかったんだよ。うん、だからアドバイスができるとしたらそれだな。「練習しろ。でも退屈な練習はするな!」(笑)

 

アンスラックスの曲で最初にコピーするとしたらどの曲が挑戦しやすいですか?

「Caught In A Mosh」はやめとけ。あれは速すぎる。でもあの曲にはいろんな種類のピッキングやテンポが詰まっていて、ウォームアップにはすごく適してると思う。だからいずれはやるといいよ。最初にやるなら「Madhouse」がいいんじゃないかな。ミドルテンポで、ダウンピッキングだけでなく、左手でこういうエクササイズもあるし、両手どちらも使う。エントリーレベルとしてはいい曲だよ。

 

Scott Ian Special 2024 2

 

前回、話を伺ったのは2021年10月でした。あれ以来、どんな日々を過ごしてましたか? 色々なことがありましたよね

ああ、あれからまた忙しくなったね。少なくとも各地を行き来できるようになってライヴも再開したから、アンスラックスとミスター・バングルでとても忙しくしてたよ。ライヴだけでなく、アンスラックスは新作のレコーディング中だし、それもほぼ終わった。あと2日でオリジナル1曲とカバー4曲のギターを録るつもり。ジョーイのヴォーカル録りはまだ半分くらい残ってるかな。来週LAに来てやるはずだよ。フランキーのパートもほぼ終わってる。ジョンもそう。そんなわけであとはミックスして4月には完成。年末までにリリースしたいと思ってるよ。

 

どんなアルバムになりますか

ヘヴィメタル・アルバム!(笑)

 

今の話によると、カバーが4曲もあるんですか

それはいわゆるボーナストラックというか。でも、俺たちは初期の頃からスタジオでは必ずカバー曲を録ってるんだよ。そもそも、初期はオリジナルがなかったからカバーしかやってなかった。スタジオではいつも自分らのベストを尽くそうと集中してて気持ちが張り詰めてるんだけど、カバーをやると単純に楽しくていい息抜きになるんだよね。

 

― 息抜きですか。

アルバムに残したものは永遠に残る。80年代にレコーディングをした頃、「このアルバムを10年後も誰かが聴くんだ!」と思ったことを覚えているし、実際、それが40年経っても聴かれている。さすがに100年後も聴かれるかもしれないだなんてことは想像もしてなかったけどね! それでも、アルバムに残すということは永遠に残ることだから、絶対に失敗は許されないと俺たちは思ってた。もちろん、今もそのアティテュードは変わってないし、常に自分たちのできるベストを尽くしたい。カバー曲はそのための息抜きなんだよ。パーティタイムさ。新曲はかなりハードなものばかりだから、アンスラックスのファンなら絶対気に入るはず。これまでで最もハードだと言える曲もあるし、最も速い曲も、最もヘヴィなリフもある。オリジナルは全部で13曲。今回録った曲を全部収録はできないかもしれないけど、いつか発表したい。日本盤には必ずボーナストラックがつくから、日本が最初に全部聴くことになるかもね。

 

この間、アンスラックス結成40周年ツアーもありましたが、どんなツアーになりましたか?

楽しかったよ。実際の40周年である2021年にはできなかったけど、今回北米を2回に分けて大々的に回ったんだ。ブラック・レーベル・ソサイアティが前座でどれも盛り上がるいいショウだったよ。久しぶりに大きな会場でもやって、ギターテックが会場を見回して、信じられないって顔しながら「俺たち、いつからアリーナ・バンドになったんだ?」って聞くから「わかんねえよ、俺も!」って言ってやったよ(笑)。今年7月で43年間ずっとこれを続けて来れたんだと考えると、自分でも信じられないよ。

 

― そう言われてみると本当にすごいことですよね。

俺はツアーに出てないときも毎日ちゃんと起きて仕事に行く。アンスラックスにまつわることで何かしらやることがあるからね。特にここ10年はすごくよかった。今作ってる新作でさらにエキサイティングなことが起きる自信がある。俺たちほど長くやってるバンドで、ここまでハードな音楽を作ってるバンドは滅多にいないと思うよ。

 

常にフレッシュな気持ちでアンスラックスを楽しんでいるように見えすが、改めてアンスラックスの偉大さを感じているのではないですか?

ああ、俺はアンスラックスでいられることが大好きだよ。このバンドで曲を書き、ライヴをやる以上のモチベーションはないってくらい愛してる。もちろん、家を留守にしたくないくらいに息子と妻、家族も大事だけど、そんな家族と離れてでもツアーに出たいと思うくらいにバンドが大好きなんだ。嫌いな仕事のためじゃない。大好きなことをやるためにやってる。それを家族もわかってくれていて、そんな俺を愛してくれる。全員がハッピーなんだよ。特に、家族が一緒にツアーに来れるときはね!

 

あなたの純粋さにいつも胸打たれます。

ああ! もう随分と長くやっているし、自分でもたまにここまでやってきたってことに驚くよ。ここ10年くらい、若いバンドがどうやって活動できているのか俺にはわからない。それくらい状況が変わってしまっているからね。今のリスナーは音楽を買わないから、アルバムを売ることから金は生まれないし、新しいバンドにとってそれは厳しい状況に違いない。少なくとも、俺たちが出てきた頃はみんながアルバムを買って、レーベルはその金でバンドをサポートし、育てることができた。でも今はその金がレーベルにないし、バンドにしてもツアーに出る金がない。

 

― そうですよね。

1981年から1983年、俺たちがバンドを始めた頃もチャンスはないように思えた。それでも俺たちは「お前らには無理だよ」と言われてもその言葉を受け入れなかった。「何がなんでもバンドをやってアルバムを作ってツアーに行く!」と思ってた。そして、気づいたらそうなってた。この俺のどこにそんな魔法があったのか、自分でも知りたいよ。わかれば人に教えられるからね。わかってるのは、俺は“嫌な野郎”だったってこと。頑固で、絶対に諦めない、攻撃的なタイプ。自分を売り込み、相手をこちらに振り向かせるためになんでもしたよ。

 

― 当時はどんな状況だったんですか?

80年代初め、俺たちが鳴らしてたような音楽を聴きたいやつは誰もいなかった。最初のマネージャーのJohnny Zは、アンスラックスとメタリカを抱えてた……メタリカといっても、1stアルバム以前のメタリカな。ジョニーは彼らのデモ『No Life ’Til Leather』をニューヨーク中のメジャーなレコード会社に持っていって聴かせたけど、「消せ、最悪だ、消せ!」と言われまくってた。それでジョニーは自分でMegaforce Recordsを始めたんだ。「誰も出したがらないなら、俺が自分でやる」って。そして『Kill 'em All』『Ride the Lightning』『Fistful of Metal』を出した。彼のおかげで、俺たちはようやく自分たちがやっていることを理解してくれる人間に会えたと思ったよ。ジョニーは自分では音楽はやらない、いちリスナーだけど俺たちと同じパッションを持っていて、何かを感じ、実現させた。レコード会社のことなんて何も知らなかったし、金もなかった。それでもやってのけた。彼がいなかったら、アンスラックスもメタリカもなかったよ。俺たちが大声で叫び続けたから声が届いて、ジョニーという最高の相手に巡り会えたんだ。一旦成功し始めると、大手の会社がどんどん契約したがったけど、最初はそうじゃなかった。純粋に自分たちの音楽を信じてやりたいことをやっていたから、これだけの年月が経っても続けていられるんだと思う。

 

とてもいい話です。それにしても、久しぶりの来日がミスター・バングルとしてだとは思いませんでした。スコットさんは彼らのデモテープを80年代当時から持っていたそうですね。かなり音がヒドかったと

ああ、ヒドかった。プロ仕様じゃなくて、単に古いテープレコーダーで録音されてたからね。たぶん、再生と録音しか機能がないようなテープレコーダーで録ったんだろう。音質は最悪だったよ。

 

どうやって手に入れたんですか?

80年代はテープトレード(交換)に凝っててね。より過激なものを求めてカリフォルニアやヨーロッパの人たちとテープ交換をし合っていたんだ。1986〜87年頃、そうやって『Raging Wrath of the Easter Bunny』のテープを手に入れたんだ。すごくノイジーだったけど、音楽は好きだったよ。俺はダニー(アンスラックス、S.O.D.)と1985年からCrab Societyというスーパーノイズなことをやってて…… といっても、その頃は“ノイズコア”という言い方はまだ存在していなくて、ただジョークとしてやってたんだけどね。59曲入りのデモを作ったこともあるよ。トータルで9分、毎曲10〜20秒の曲とも言えないものをその場で考えながら作ってたんだ。どれも速いビートが炸裂するだけ。ドラムはいない。テーブルをガンガン叩いたり、ギターにディストーションをかけたりして、マイクに絶叫。それが1985年。だから『Raging Wrath of the Easter Bunny』を聴いたときは、「Crab Society に似てるけど、こっちはクレイジーなリフの曲が6分もある!」と驚いたね(笑)。

 

― あはは!

80年代後半にもミスター・バングルのデモは何本かあるけど、一番有名なのは『OU818』で、このときには『Raging〜』よりもずっと上手くなってた。91年頃に1stアルバムが出たけど、このときにマイクはすでにフェイス・ノー・モアに参加していて、そっちが大成功したもんだからワーナーはミスター・バングルも出すことにしたんだ。最初、フェイス・ノー・モアで歌うマイク・パットンの声を聴いたとき、ミスター・バングルと同じやつだとは信じられなかったよ。「こんなふうに歌えるのか! すげえ!」って。ということで、ミスター・バングルの1stは俺のオールタイムフェイバリットなんだ。大大大ファンだよ。90年代に出した3枚はどれもすごいし、ライヴも何度も観てる。その後、マイク・パットンと友達になれたのは本当にラッキーだった。2019年にバンドに誘われたことはいまだに信じられないよ。自分がミスター・バングルの一人としてアルバムを作って、ライヴをやってるなんて。自分の大好きなバンドに「入らないか?」って言われたんだぜ?

 

メールが来たんですか

2019年にメールが来た。そのときのメールは全部残してあるよ。「ヘイ、突飛なことを聞くけど、最後まで読んでくれ」ではじまって、その後にバンドの成り立ちについて書かれてて、それから「『Raging Wrath of the Easter Bunny』のデモを覚えているか? 手っ取り早く言うと、君とデイヴ・ロンバードがバンドに入ってくれるならあれをレコーディングし直したい。1985年頃の俺たちが一番影響を受けたのはアンスラックスとS.O.D.とスレイヤーだったからな。だから、もしやるとするなら君たちとやりたい。もし断られたらやらない」って言うんだよ。だから俺は答えたんだ。「もし君らがおならを録音してそれをリリースするとしても俺はやるよ。ミスター・バングルのためだったら何だってやる」ってね。でも、ただひとつ質問をした、「デイヴはなんて答えた?」って。すると「もうデイヴは入った」って言うんだよ。だから俺は言ったよ、「で、いつからやる?」って。それが2019年8月の話。それから2020年1月にリハーサルをして、曲を覚えて、LA、サンフランシスコ、ニューヨークで7、8回ライヴをやって、レコーディングに入った。で、レコーディングが終わった直後にコロナ禍になって、すべてがそこで止まったんだ。

 

デイヴは約40年来の友人ですよね?

85年頃からだよ。マイク・パットンに初めて会ったのは1989年だったはず。フェイス・ノー・モアが『The Real Thing』をリリースしたあと、メタリカのThe Damaged Justiceツアーのロス公演で前座をしたときだね。そのときにマイクに会ったのを覚えてる。デイヴにはスレイヤーがニューヨークに来たときに会った。なぜか、アンスラックスとスレイヤーでマーシフル・フェイトのショーを見に行ったんだ。バーで飲んだのを覚えてる。

 

将来一緒バンドやることになると思ってました

まさか。デイヴとは一緒にカバー曲をジャムったりすることはあったけど、まさか同じバンドでやるなんて。信じられないよ。

 

話の流れで聞きますけど、スレイヤーの復活についてどう思っていますか?

(笑)。驚いているけど、それと同時に驚いてはいない。両方の気持ちが入り混じった変な感じだよ。5年前、スレイヤー引退について感想を聞かれて、俺は公式に「他のバンドは解散だと言ってすぐまた再結成する嘘つきだけど、スレイヤーだけは約束は守るバンドだ」と言ったんだ。だから彼らが再結成を発表したあと、俺はケリーにメールをしたよ。「ニューアルバム、おめでとう。そして、俺を嘘つきにしてくれてありがとよ!」ってね。

 

Scott Ian Special 2024 3

(左)AMERICAN SERIES VIRTUOSO, STREAKED EBONY FINGERBOARD, MYSTIC BLUE

(右)X SERIES SIGNATURE SCOTT IAN KING V™

 


 

スコット・イアン

1963年12月31日、米ニューヨーク生まれ。スラッシュ・メタル・バンド、アンスラックスの結成メンバー兼ギタリストとして40年活動を続けている。またクロスオーバー・スラッシュの最重要バンド、Stormtroopers of Death(S.O.D.)の中心人物であり、フォール・アウト・ボーイのメンバーと結成したザ・ダムド・シングスのギタリストでもある。2020年にはミスター・バングルの21年ぶりのアルバムにギタリストとして参加した。

Scott Ian Official Web