Marty Friedman Special Interview (前編)

8月 27, 2021

Photo by OGATA / Text by Daishi Ato

今年5月、マーティ・フリードマンのシグネイチャーモデルPro Series Signature Marty Friedman MF-1, Purple Mirrorが発売された。そこで今回、ロックやギター、日本の音楽との出会いなど、マーティ・フリードマンという人間に迫るインタビューを敢行したところ、想像以上に多くの(そして、興味深い)話が聞けたため、前後編に分けることになった。もちろん、彼がとことんこだわり抜いたというPurple Mirrorの制作秘話も披露してくれたが、これは後編までお待ちいただきたい。

 

― まずは基本的なことからお聞きしたいんですが、マーティさんがギターを引き始めたきっかけはなんですか?

 

13歳ぐらいのときにキッスのライブを観たのがきっかけですね。僕は小さい頃からスポーツが好きだったんですけど、いくら頑張ってもほかの人と勝負にならなかったんですよ。だからスポーツは大好きで仕方がなかったんですけど諦めました。そんなときにキッスのライブに行って、彼らのステージを観た瞬間に「これしかない!」と思って、次の日にギターを買いました。

 

― 次の日に! そんなに衝撃だったんですか?

 

「あいつらがやってることは俺にもできる!」って勝手に思って(笑)。あと、彼らのステージは跳んだり走ったり、ちょっとスポーツっぽかったんですよね。あと、それまでのバンドはちょっとヒッピーっぽい感じで冷静に演奏してるイメージだったたけど、キッスは爆発があったり、火を吹いたり、めちゃくちゃエキサイティングだったから、そこからもスポーツに似た興奮が感じられて、スポーツの代わりになる楽しいものが自分の中で生まれたって感じでしたね。

 

― ちなみに、スポーツは何をやっていたんですか?

 

アメフト、野球、バスケットボール。ド下手でしたけど。

 

― あはは! で、すぐにギターを買って練習し始めたんですね。

 

ギターをやりたがる人ってロックミュージシャンを見て、「あの人、天才!」ってすぐに言うけど、誰も天才じゃないよ! 医学の世界に行けば天才はいっぱいいるかもしれないけど、ギターは近所にいるちょっとおバカなヤツでも弾いてたから、「僕でも弾けるんじゃないの?」って。それがモチベーションになりました。ギターは誰でも楽しめる楽器なんだってそのときにわかった。そう思わせてくれる友だちがいなかったら、ギターを弾くには何か特別な才能が必要だと思ってたかもしれない。

 

― すぐ近くに目標にできる友だちがいたんですね。

 

うーん、そのときは友だちよりも上手くなりたいっていうより、とにかく音楽がやりたい、バンドがやりたいと思ってました。あとから競争心も湧いてきたんですけど。そのときはとにかくバンドっていいなあと思ったのですぐにバンドを組みました。しかも、ギターを買って半年もしないうちに(笑)。そして、ド下手だったけどすぐにライブもやりました。隣の家のお庭のパーティで。セットリストをつくって、一生懸命練習して、演奏して、2千円ずつだったけどちゃんとギャラももらって。

 

― コピーバンドだったんですか?

 

コピーです。その家に住んでた家族のリクエストに応えてやったから自分が好きな曲はひとつもなくて、ビージーズ、バーバラ・ストライサンド、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、シカゴ……けっこう勉強になりました。

 

― ギターを習い始めた頃、自分が習ったことをそのまま友だちに教えて、それでお金をもらってたそうですね。

 

そうです。ギターレッスンを受けて、新しい技術を身につけて、それをほかのヤツに教えてお金をもらって、それが僕のギターレッスン代になった。これ、天才だと思わない? 僕は自分が教えたヤツらとほぼ同じレベルの技術しかないけど、そいつらよりも常に1レッスン分上なんですよ。だからいくらでも教えられるし、僕はなんでも弾けるとみんな思ってたんです。

 

Marty Interview 02

 

― その頃から将来は音楽で食べていきたいと思っていたんですか?

 

食べていくというより、ロックのドリームのことしか考えてなかった。友だちと一緒にビッグなステージで大勢の人の前で演奏することを考えていました。

 

― メジャーデビューするのが夢だったそうですね。

僕はインディーズではいっぱい作品を出したんですけど、その頃の僕はメジャーじゃないと自分の音楽を認めてもらえたと思えなかったんです。あとになって、自分の音楽は自分の音楽だからメジャーでもインディーズでも関係ないっていうことに気づくんですけど。メジャーは完全にビジネスで、売れるかどうかしか考えてない。だから、アメリカで演歌を売ろうと思ってもメジャーは全く興味を持たない。でも、当時の僕は自分のやっている音楽が変なのに、メジャーじゃないと意味がないと思い込んでた。やっぱり、メジャーレーベルはすごく大きなハードルでした。

 

― 今、演歌という言葉が出ましたけど、マーティさんはハワイに住んでいた10代の頃に演歌と出会ったそうですね。メタルキッズだったマーティさんがどうして演歌に惹かれたんですか?

 

その当時、僕は18、19歳ぐらいで、人生の岐路に立っていました。僕はロックギタリストとしては上手なほうで、周りにも上手いヤツはいっぱいいて、そういう人たちは上手くなるとみんなロックから離れて、ジャズ、フュージョン、クラシックの世界に行ってしまった。人生の現実に飲み込まれて違うジャンルへ行ってしまう。それは全然悪いことではないんですけど、僕はジャズにもフュージョンにもクラシックにも興味がなかった。そんなときに演歌の歌い方を聴いて、「これだ!」と思ったんですよ。言葉はひとつもわからないのに、感情がズンと伝わってきたんです。当時、日本、韓国、中国の違いがまったくわかんなかったんですけど、僕はとにかく適当に演歌のテープを買って聴いて、そこで何か面白いフレーズを見つけたらそれを分析してたわけです。演歌の歌い方には囁いたり、叫んだり、泣いたり、いろんな感情がある。そこで、ギターでも演歌と同じような感情をもっと深く表現できると思ったんです。だから、周りのほかのギタリストはフュージョンとか難しいギターを弾いてましたけど、僕のチャレンジはどうやって演歌の歌声を自分のものにするか、でした。長い時間をかけて分析して、練習しました。それがハワイに住んでいたときの一番大きなチャレンジでしたね。

 

― 演歌との出会いがマーティさんのその後のギタープレイに大きな影響を与えているんですね。

 

宝物を見つけたような気分でした。周りの上手いギタリストは「このフュージョン聴いた?」とかオススメしあってたけど、僕は興味がなくて。でも演歌には興味が持てた。メロディセンスや歌い方とか、「この音楽の解釈には興味が持てる、飽きない」と思った。それはラッキーでしたね。

 

― 最初に聴いた演歌がなんだったのか覚えていますか?

それが覚えていないんですよ。自分で買ったカセットテープも本当に適当で、着物を着てる人がジャケットに写ってるテープを手当り次第買って……あ、僕は日本以外に中国の音楽も身につけました。実は日本と同じぐらい中国からも影響を受けているんですよ。特に中国のモダンクラシックは悲しいメロディがガチで悲しくて、しかも不思議なメリハリがある。死ぬほど悲しいメロディの直後に田んぼで踊ってるようなハッピーなメロディが出てきて、そういうのが面白くてギターを弾く上でためになりました。普通のギタリストが弾かないフレーズばかりだし、二胡のフレージングとかを吸収することで僕はなかなか変態な音楽を弾く存在になったんですよ。

 

― 周りのギタリストはマーティさんのギタープレイについてなんて言っていたんですか?

 

ただの変態だと思われてましたよ。

 

― あはは!

 

変だから受け入れられませんでしたね。当時はヴァン・ヘイレン派、ジェフ・ベック派、ジョン・マクラフリンみたいなガチでムズいフュージョン派がいて、僕のやってることなんてみんな興味がなかった。でも、僕の演奏が知られるようになってファンが僕の真似をするようになったんですけど、どれも日本すぎてダサいんですよ。例えば、日本的な音階を弾きまくって「これ、マーティっぽいじゃん!」って言うんですけど、そんなことないんですよ。そういう気持ちはうれしいんですけど、日本的な要素は隠し味程度でいいんです。

― 90年代はメガデスのメンバーとして活躍されていましたが、その頃も日本の情報を集めまくっていたそうですね。

そうですね。それが転機になりました。日本に限らず、ツアーでいろんな国に行くときには現地の音楽をたくさん聴いていたんですね。それで僕の耳がどんどん開けていった。たまに気に入るものがあったら分析して、モチーフをパクったり。だって、中東の音楽をパクっても誰もわかんないじゃん(笑)。「マーティ、天才!」「いや、天才じゃないんだけどね」って。ただのパクリ(笑)。でも、世界の音楽はすごく面白い。そういう音楽に触れないでギターを習い尽くしたとは言えない。例えば、モロッコの音楽を5分ぐらい聴いたら、その中に1フレーズでも気に入るものがあるかもしれない。そういうことを昔からやっていました。だけど、日本の場合はそういう演奏を身につけるという以上に、J-POPのファンになりました。ある時、日本では邦楽しか流れていないことに気付いたんです。特に90年代中盤から後半は洋楽なんて誰も知らないって感じ。アメリカのバンドはみんな、日本人はアメリカの音楽しか聴かないって誤解してるんだよね。アメリカのバンドが日本をツアーして帰ってくると「素晴らしかったー!」って言うんだけど、たしかに素晴らしいは素晴らしいんだけど、現地のシーンのことをまったく吸収していない。洋楽のアーティストが日本に来て、洋楽チームに囲まれて、洋楽のファンがライブに集まってくれて……天国みたいな状況ですよ。僕がインディーズのときですら日本は天国みたいでした。でも、何回も日本に来るうちに洋楽ファンっていうのは特別な人種なんだっていうことに気付いたんです。

 

― あはは!

 

普通の一般的な日本人は洋楽なんて知らない。U2も知らない、レディー・ガガも知らない。知ってるとしても曲名を知らない。なんでかというと邦楽が素晴らしいから。日本人がそんなに英語が喋れない理由も同じ。英語が必要ないから。英語がなくても素敵な人生が送れるから。

 

― なるほど。

 

邦楽はあまりにも数が豊富で、しかも凝ってる。アーティストはみんなものすごく頑張ってる。特に90年代以降。90年代まではちょっと違う世界でした。言い方は悪いけど、海外の曲を意識したインチキな感じ。だけどなぜか90年代に入ったらJ-POPの黄金時代が始まって、超日本的なものしか流行らなくなって、洋楽からの影響が見つからない、魔法のようにいい音楽が生まれた。つんく♂さんとか小室哲哉さんとか織田哲郎さんとか、洋楽の影響があったとしても日本の醤油味があまりにも強い。プロデューサーの人たちに会うと「洋楽は超憧れですよ!」って言うんだけど、「でも、つくってる音楽は洋楽っぽくないじゃん」って言うと、それは隠し味程度で必ず日本的なセンスを……って言うんですよ。僕はそういうところからもいろいろ学びました。洋楽に憧れる日本のアーティストはいっぱいいるんですけど、彼らは洋楽のスタイルとかセンスにはそんなに興味がないんですよね。それはすごく面白い現象だと思います。

 

― 最近、竹内まりやが80年代に発表した楽曲が海外で注目されてYouTubeで何千万回も再生されていますが、マーティさんとしてはどうですか?

 

好きですよ。時々、なぜか海外で日本の何かがピックアップされて人気になりますよね。古くは坂本九さんの「上を向いて歩こう」だったり、最近ならBABYMETALとかマキシマム ザ ホルモンみたいなヘヴィ系の音楽とか。日本にはいっぱいいいアーティストがいますけど、広まるかどうかは本当に運だと思います。海外で頑張っている日本のアーティストもいっぱいいますけど、いくら頑張っても人気が出ない人もいるし、全然頑張ってないのにたまたま人気になる人もいる。それは運だし、地道に耕すことはできない気がする。

― 90年代は直接日本に足を運んで情報収集をしていたんですか?

そうですね。山ほどCDを買って持ち帰ってました。

 

― どれぐらい買っていたんですか?

 

本当に山ほどです。スーツケースに入ってるのが全部CDとか。

 

― ええ~!?

 

日本のファンは最高すぎて、「これが好きだよ」って言うと、次の日にホテルまで持ってきてくれるんですよ。あれは本当に申し訳なかったです。でも、せっかくいただいたからもらったCDは全部聴いたし、その中で気に入ったものがあったらそのアーティストのほかのCDを買ったりして、ワールドツアーの移動とか待ち時間に聴きまくってました。日本語の勉強グッズもたくさんいただいたからそれも使ったし、そこで「日本しかない!」と思ったんです。

 

― そういう経験が日本に移住するきっかけになったんですね。マーティさんがJ-POPにハマった90年代、アメリカのメタルシーンはどうなっていたんですか?

 

僕がメガデスにいたとき、メタルはほぼ死んでました。メタルで生きているバンドは僕らとBIG4ぐらいしかいなくて、ほかのメタルバンドはシアトル系のグランジバンドに消滅させられました。ほとんどのメタルバンドはライブもできない状況になってたから、僕らはラッキーでした。

 

― 危機感みたいなものは感じていなかったんですか?

 

もちろん、新しいものを生み出そうと思ったらトレンドは無視できないんですけど、あまりにそこへ合わせにいって自分らしさが薄まるとコアファンを失ってしまうから、そのバランスは気にしました。でも、危機というほどのことではなかったですね。

 

後編にはこちら

 


マーティ・フリードマン
アメリカでの音楽活動を経て、2004年に活動の拠点を日本・東京へと移す。 2005年からテレビ東京で放送された伝説のロックバラエティ番組『ヘビメタさん』にレギュラー出演し、日本国内のヘヴィメタルファンだけではなくYouTubeを通じて世界のヘヴィメタルファンを驚かせた。続編レギュラー番組『ROCK FUJIYAMA』は世界各国で話題の番組となる。 その後、テレビ番組に多数出演。雑誌や新聞でも連載を持ち、初の執筆書籍『い~じゃん! J-POP だから僕は日本にやって来た』はベストセラーに。2008年には映画『グーグーだって猫である』『デトロイト・メタル・シティ』にも出演。ギタリスト、作曲家、プロデューサーだけにとどまらず、テレビ、ラジオ、CM、映画などさまざまな分野で活躍している。

 

ROCK FUJIYAMAチャンネル

https://www.youtube.com/channel/UCLmF8nkHDUap8ztsGnROWqg

 

Marty Friedman Official YouTubeチャンネル

https://www.youtube.com/channel/UC8p0ZqjT7f_zZiS-py5w-WQ

 

Marty Friedman OfficialWeb

http://martyfan.com/