Misha Mansoor Special Interview(前編)

3月 1, 2022

Photo by Ekaterina Gorbacheva, Text by Daishi Ato / Translation by Kyoko Maruyama

今回登場するのはペリフェリーのギタリストであり、数々の事業を手掛けるミーシャ・マンソー。これまでに登場したギタリストとは違い、彼はオンラインでの楽曲公開をきっかけに頭角を現していった。今回も楽器を手にしたきっかけなど定番の質問を中心に投げかけていったのだが、新鮮な回答が多いのが印象的だった。そして、オタクだと自認する彼のギタートークは予想通り白熱。前後編、楽しみながら読んで頂きたい。

 

― ミーシャさんがギターを弾き始めたきっかけはなんですか?

 

幼い頃からドラムとギターがやりたかったんだけど、親からは嫌がられてね。ギターはギターでもエレクトリック・ギターだったからうるさいに違いないって。ドラムにしたってそうだよ。うちはユダヤ教徒だから13歳のバーミッツァ(成人式)のときにご祝儀をもらうことになってて、普通ならユダヤ教義の勉強に使うんだけど、僕は初めてのギターとドラムを買った。で、最初はドラマーを目指したんだ。ドラマーの利点は、友達がうちに来て練習をしたあと、そのままギターを置いていくこと。新しいギターを買う金はなかったし親も買ってくれなかったから、友達が置いてったクールな7弦ギターを弾かせてもらったり、lower tuningとかを発見してね。結局、ドラムは音が大きすぎたから、大学進学後はギターに専念するようになった。ギターなら誰の邪魔にもならず、好きなだけ練習できるからね。

 

― ギターに転向したのはそういった音の問題だけですか? それとも昔からずっと惹かれていた?

 

うん、デイヴ・グロールに触発されてね。最初はニルヴァーナでドラム、その後に組んだフー・ファイターズではギタリスト、と両方できるところに惹かれたんだよ。作曲のためにもなるしね。だからどちらか一方をやりながら、常にもう一方を練習したいと思ってたんだ。

 

Misha Mansoor Special Interview 2

 

― では、ミーシャさんにとってのギターヒーローは当然、デイヴ・グロールと、ほかには誰かいましたか?

 

大学に入ってギターをより真剣にやり始めてからは、ジョン・ペトルーシ(ドリーム・シアター)、アラン・ホールズワース、ガスリー・ゴーヴァンといったいわゆるギター・ヴァーチュオーゾ(ギターの達人)を聴くようになり、ギターのテクニックに集中するようになった。それまでは楽曲のなかでのサポート楽器としてしかギターを捉えてなかったんだけど、それ以降はオルタネイト・ピッキング やスウィープピッキング、エコノミックピッキングといったテクニックを向上させることに専念したんだ。

 

― そういったテクニックは独学で学んだんですか? 練習方法は?

 

独学だね。僕は耳がいいほうだからできる限り耳コピした。それが難しいときはタブ譜を探した。大抵、無料のタブ譜をウェブサイトで見つけるんだけど、そういうやつって正確じゃないことが多いから自分の耳も使って聞き取ろうとした。教則ビデオで学ぶこともあったけど、ほとんどの場合はライヴとか番組のパフォーマンスをパソコンで見ながらギターで弾く、みたいなことを続けてたんだ。そのうち、自分にとってはギターを練習することよりも曲を書くことのほうが大事に思えて、かなり早い時期からソングライティングの上達を目指すべく実践してきたよ。

 

― 作曲やプロデュースを真剣に始めたのは大学在学中だったんですよね?

 

ああ、ゲーミングPCを持ってたんだけど、それが録音ソフトウェアをインストールするのにギリギリのパワーがあったんだ。しかも持ってたサウンドカードの入力が1/4インチで、「ここにギターケーブルがつなげるじゃないか!」って気づいたんだよ。Line6PODには手が出なかったけどBehringer V-AMPなら買えたから、それでギターのサウンドメイクをした。そうやってコンピューターを使ってたった一人で録音できるってことがわかった。ヘッドフォンをすればエレクトリック・ギターはほとんど音がしないから、深夜3時だろうと誰にも迷惑をかけない。誰かに助けてもらわなくても全部自分一人でできる。かけたいだけの時間をかけて、自分のスケジュールでやれる。本当はマズイ話だけど、授業に出ないで部屋でレコーディングばかりしてたよ。

 

― これまで話を聞いてきたギタリストの方々と比べると、世代的なこともあるのかもしれませんが、特殊なギターとの触れ方をしているなと思いました。

 

時代的にちょうど転換期だったんだと思うよ。それ以前のホームコンピューターはパワーが足りなかったし、ソフトウェアの数もそれほどなかった。というか、たとえコンピューターで録音できたとしても、結局はプロ仕様のレコーディング・スタジオでしか見つけられないようなパワフルな何かが必要だった。でもそれを誰でも手に入れられるようになり、僕だけじゃなくその分野の人間がみんな気づき始めた。ある日突然、「コンピューターで録音できるじゃないか!」ってね。スピードは遅いかもしれないし完全ではないけれど、やれなくはない。以前はほとんど不可能だったことが、ね。それはすごくクールでエキサイティングなことだったんだよ。だからこそ、僕は何時間も夢中で録音をしたんだ。なんて運がいいんだって思ったよ。ようやく自分一人で、自分のツールで、わざわざスタジオに行かなくても、金をかけなくても、誰かに頼んで来てもらったりしなくても、もう目を開けてられないってくらいまで好きなだけ作業できたわけだからね。

 

― 影響を受けているギタリストもデイヴ・グロールをはじめ、いわゆるメタルのギタリストじゃないのも興味深いですね。

 

その時点ではまだヘヴィな音楽を聴いてなかったからかな。僕は長男だったから音楽に関して遅かったんだよ(※兄や姉がいれば彼らの影響で聴いていたという意味)。ニルヴァーナを知ったのも12歳とか13歳になってからだったし、ニューメタルもその頃。メシュガーを知ったのなんて18になってからだよ。

 

― そうだったんですね。

 

メシュガーを知ったことで人生が変わって、そこからどんどんヘヴィになっていったんだ。フレデリック・トーデンタルは大好きなギタリストの一人だよ。彼もアラン・ホールズワースから大きな影響を受けているしね。当時、テクニック志向のギタリストは必ずしもメタルではなくて、ドリーム・シアターには少しメタルの瞬間もあったけど彼らはプログレだった。当時、最高のテクニックを誇るギタリストたちが演奏してたのはそういうジャンルだったということだね。だから自分もプログレやフュージョン系のバンドを聴いてたんだ。でも、個人的にはメタルも大好きだった。メタル一筋ではなかったけど、ライヴのエネルギーという点ではメタルが一番だと思ってたよ。聴くのが好きだったというよりは、自分でバンドをやるならメタルがいい、あのライヴでのエネルギーが好きだ、と思えたんだ。

 

Misha Mansoor Special Interview 3

 

― そういったテクニック志向のギタリストのどこに惹かれたんですか?

 

たとえば、ドリーム・シアターを聴いて思ったのは「そんなことができると思わなかった!」ということなんだ。すべてのルールを壊している感じがして、すごくクールだと思った。クレイジーな変拍子、テクニック重視のリフ、長尺の曲、それまではこうあるべきと思っていたルールが全部破られていった。しかも、「すごいのは認める。でもライヴでもそれをやれるのかな?」と思っていたら、ライヴでも完璧に再現してる。世界が開けた気がしたよ。新たな基準が設けられた。このレベルに達するように自分も頑張ろうって思えた。そうすると自然と他のバンドへの扉が開かれるんだよ。「他にどんなバンドがいるんだ? どんなテクニカルなことをやってるんだ? どこまでギターを極められるんだ?」って興味が湧いて、どんどん自分から探し始めるようになったんだ。

 

― メシュガーを18歳で知ったと言ってましたが、どうやって見つけたのですか?

 

その頃、フィア・ファクトリーとかスリップノットが好きになって、速くて上手いドラマーに夢中だったんだ。誰かと話しているときに「彼らに勝るドラマーはいないよな」と僕が言ったら、そいつが「そんなことはない。メシュガーのドラマーのほうが上手い。彼らこそ世界一クレイジーでヘヴィなバンドだ」って言うんだ。もちろん彼らの名前は聞いたことがあった。でも、今振り返ると馬鹿だなと思うんだけど、その頃は「それほど上手いバンドならいつか自然と耳に入ってくるだろう」と思って聴かなかったんだよ。当時は今ほど音楽を聴くのが楽じゃなくて、CDを買うか、違法ダウンロードするかしかなかった。貧乏だったからさ。メシュガーを聴いて最初に思ったのは「これはノイズだ。最悪だ。ランダムなノイズの繰り返しだ」だった。でも友だちが「メシュガーって4/4 でやってる奴らだよな」っていうから「違う違う、ただただクレイジーなんだよ」っていったら、「そこがポイントなんだよ!」と教えられた。つまりクレイジーに聴こえるけど実は4/4なんだよと。そこで「嘘だろ! ちゃんと聴かなきゃ!」と思い直してそこからは取り憑かれたように聴きまくった。その日以来、僕の大好きなバンドとなって、それは今も変わらない。

 

― 僕もメシュガーは大好きです。

 

ライヴは観たことある?

 

― 2回ほど観ました。

 

すごいよね。

 

― はい、演奏だけでなく、ライティングもいいですよね。

 

そう、あれは体験だ。メシュガーのファンじゃなくても、メタルのファンじゃなくても、彼らをライヴで観ればぶっ飛ばされる。日本語で“goosebump”ってなんて言うの? トリハダ? それだよ! 本当に好きなバンドだ。でもそのよさがわかるのに一瞬時間がかかった。

 

― ミーシャさんはネット上にプレイ音源を投稿するという、90年代には考えられない方法で知名度を高めていきました。最初からそういうやり方で有名になろうという思いがあったんですか?

 

まさか。日本ではどうかわからないけど、アメリカでメタルは市民権を得てないっていうか、友だちの間で「あいつはメタル好き」みたいに言われる存在でしかない。メタルファンは日本もそうだろうけど、メタルへの思いが熱いから人に話したいのに友だちは「メタルなんて嫌いだ」と話をさせてくれない。そんなときにネット上でフォーラムをみつけたんだよ。そこでは大勢の人がメタルの話をしてる。ドリーム・シアター、7弦ギター、ギア、メシュガー……僕が話したくてたまらないのに誰も聞いてくれなかった話題だ。そうやって新しいコミュニティを見つけて、歓喜して住人になったわけ。

 

― なるほど。

 

そういうフォーラムには自己プロモーション用の場があって、曲を投稿したりできたんだ。才能ある連中がたくさん投稿してたので、最初はためらってたんだけど、「嫌われてもなんでもいいや、もし叩かれたらもう二度と投稿しなけりゃいい!」って勇気を振り絞って投稿したんだよ。そうしたら意外にもいい反響が返ってきた。フォーラムにはもっと上手い連中がいっぱいいたから、正直「なんでだろう?」って思ったね。そんなふうにして新曲を書いてはフォーラムに投稿するのを繰り返したんだ。「もっと書け」と背中を押してくれたり、「すごくいいね」と言ってもらえたり― ― もちろん否定的なこともいっぱい言われたけど― ― きっかけは全くの偶然だったんだ。

 

Misha Mansoor Special Interview 4

 

― いい話です。それでは、Jacksonギターとの出会いを教えて下さい。

 

もちろんJacksonの名前は知ってたけど、自分で買ったり弾いたりしたことはなくて、たまたま縁がなかったんだよ。でも、UKのソニスフィア・フェスティバルに出たとき、楽屋にいろんなメーカーがブースを出しててそのひとつがJacksonで、そこでマイク・テンペスタ(Jackson : Artist Relations Manager)と出会ったんだ。彼はいまだに僕の担当で、前回の来日でも一緒だったよ。それでブースにあるギターを色々と試してみたら、エイドリアン・スミスのストラト― ― 僕はアイアン・メイデンの大ファンってわけでもないんだけど― ― がすごくよくて、それをマイクが僕用にアレンジしてくれたんだ。ギタリストっていうのはこだわりが強くて、「このギターが好き」だといったら「それ“みたいな”ギター」ではなくて「そのギターしかない」ってことをマイクはわかってる。それがすごくクールだと思って付き合いが始まったんだよ。そのうち僕のシグネイチャーモデルを作らないかという話になって、僕は「もちろん」と答えたわけだけど、正直他の企業でも僕のシグネイチャーモデルは作れたと思う。実際、いろんな企業がやりたいと言ってくれたし、Jacksonに限らず優秀な企業ならいい仕事をしてくれたはず。それでもJacksonと組んだのはそこで働く人たちが好きだから。マイク・テンペスタ、ピーター・ウィッチャーズ、マット・ブラウン……全員僕と同じオタクで、優れたギタリストなんだ。希望のギターやデザインの話をしてても、僕の言いたいことをすぐに理解してくれるから話が早い。できあがったものも、「まだこれじゃダメだ。わざわざ送るまでもない」とピーターが判断すれば― ― 本人もこだわりの強い、すごいギタリストだからね― ― 送ってこない。でも一旦送られてきたものは、いいに決まってるんだよ。そんなふうに無駄がなくて仕事がしやすいっていうところが気に入っている。そういうパッションがあるからこそ、僕も彼らが作るギターに大満足なんだよ。

 

後編に続く

 


ミーシャ・マンソー

米メリーランド州生まれ。ギタリスト、ビジネスマン、起業家、作曲家、作詞家、音楽プロデューサー。ジェント(Djent)ムーブメントの創始者であり、プログレッシブ・メタル・バンド、ペリフェリーの中心人物として広く知られている。2005年にワシントンD.C.で結成され、グラミー賞にもノミネートされたことがあるペリフェリーは、挑戦的で、中毒性があり、カタルシスを誘う現代のヘヴィミュージックの先駆者的存在。2013年にはMetal Hammer誌のGolden Gods Awardで「Breakthrough Band」に選出。メシュガー、ドリーム・シアター、ザ・デリンジャー・エスケイプ・プラン、アニマルズ・アズ・リーダーズなど、ラウドロック界の様々な分野で活躍するバンドと頻繁にツアーを行い、ステージ上でもステージ以外でも、紛れもないその実力とカリスマ性で高い評価を得ている。

Misha Mansoor Official Instagram
https://www.instagram.com/mishaperiphery/

Periphery Official Web
http://www.periphery.net/